古今亭菊丸の「浜野矩髄」2012/06/09 02:43

 宝暦年間というから江戸中期、と菊丸はいきなり噺に入った。 「腰元彫り」 刀剣の付属品を彫刻する彫金の名人浜野矩安の子、浜野矩髄(のりゆき)が八 丁堀の裏長屋に母と住んでいる。 矩髄は仕事がまずい、下手、小柄(こづか) に猪を彫ったのを、芝神明前の若狭屋新兵衛の所に持って行く。 黙って渡さ れれば豚だというのを、二朱で買うが、その二朱は母への孝行の二字に払う、 義理だ。 若狭屋は、そろそろ商売替えを考えてみないか、ぼてふりでも何で もいい、この前の河童も、頭に皿はあるが、下は狸だ、仕事に向いていない、 男としてくやしくないかい、お父っつあんには世話になったから買っては来た が、お父っつあんの位牌に泥を塗っているようなものだ、死んじまいな、死ん だ方がましだ。 よく、考えさせてもらいます。 はい二朱、今度買うかどう かは、わからない。

 矩髄は家へ帰って、母親に膝が濡れているのを見つかる。 若狭屋にこう言 われた、今晩首をくくって死のうと思う。 死になさい、お前は不器用だから、 失敗するといけないから、おっ母さんが支度をしてやろう。 一寸、お待ち、 おっ母さんに形見を彫っておくれ、観世音菩薩、丸彫りで、身の丈五寸。 矩 髄は、井戸で水を五六杯かぶると、父の位牌を拝んで、一心に彫り始めた。 気 力がみなぎっており、飲まず食わず、八日目に出来上がった。 出来たじゃな いか、出来たよ、矩髄と銘を入れておくれ。 若狭屋さんに売っておくれ、お 前が死んだら、まとまったものがいるから。 これなら大丈夫だ、きっと買っ て下さるはずだ、いくらだって言われたら、五十両、一文欠けても売れません、 と言いなさい。 矩髄は出された水を、ぐっと半分飲むのがやっとで、残りの 半分はおっ母さんが頂こう、と母親が飲んだ。 ずっと座りっぱなしだったん だ、下駄は草履におし、おっ母さんの杖を持って、気をつけてね。

 若狭屋は、こないだは悪かったな、あんなことを言って、商売仲間と喧嘩し て、酒も飲んでいたんだ。 丸彫りの観世音菩薩を見て、買います、買います、 いくらだ。 申し上げにくいけれど、五十両、びた一文まかりません。 安い ぐらいだ、先生のものはみんな売ってしまった。 仏様は顔が難しい、慈顔で、 凛としている、頭が下がる。 矩髄さんが彫ったって? 親勝りだよ、これな ら。 八日も何も食っていない、重湯でも飲むか。 何、残りの半分の水をお っ母さんが飲んだって、そいつはいけない、すぐに行こう。

 八丁堀では、ちょうど母親が首をくくったところで、医者を呼んで命は取り 留めたが、意識はもどらなかった。 矩髄の細工ごころに火がついて、この道 で名を上げるのが一番の薬と、一心に取り組んだから、こさえるものこさえる もの、見事な出来、花が咲いた。 矩髄さんが、先生になり、芝神明前の若狭 屋から品川まで行列が出来る騒ぎ。 注文が殺到して、出来上がりは再来年の 春になる。 ある客が、矩髄作と銘のあるものが何かあるだろうというので、 若狭屋は一つだけ自分のものにと取って置いた、小柄に猪を彫ったのを出す。  豚じゃないか? ちょっと見て豚、よく見ると猪に見えて来る。 なるほど、 見えて来ました。 そこが名人の名人たるところ。 まけて三百両。

 松江の松平不昧公が、矩髄の評判を聞いて、庭に五百羅漢を彫らせ、大層気 に入る。 御典医におっ母さんの治療をさせたら、元気になった。

 と、菊丸はハッピーエンドにした。 元の講談は、母親が死んで、矩髄が悲 壮な奮起をしたことにし、志ん生も(「名工矩髄」)、先代円楽も、そう演じてい たようだ。 円楽のを聴いたことがあるが、上手いだろうというのが鼻につい たこともあり、嫌みな印象が残っている。 気負わず淡々と演じた菊丸、明る くまとめて、すっきりといい噺にした。