広尾狸蕎麦別荘…高橋義雄、福沢範一郎さん2012/06/28 03:28

 幼稚舎のうしろにみゆる茂りかな     久保田万太郎(前書に「慶應義塾」とある)

 「狸橋」のあたりで、黒田さんに教えてもらった。 松永安左エ門著『人間 福 澤諭吉』に、狸蕎麦の別荘についての、こんなエピソードがあるという。 私 は随分昔に読んだので、忘れていた。 日清戦争が始まったばかりの頃の話だ。  若い頃からいささか風流過剰の高橋義雄(当時、時事新報記者、後に茶人箒庵) がやって来て、狸蕎麦の庭木や石に、ナニナニの松とか、ナニナニの石とか、 しかつめらしい雅名をつけ、それを立て札にして独り悦に入っていた。 それ を見つけた福沢先生、大立腹。 「こりゃあ何んだい。いい若いもんがつまら ぬ真似をして、見っともない。さっそく引っこ抜いて捨ててしまえ」と、二、 三本やっつけて、「いまの時勢をどう心得ているのか。エセ風流で風流がってい るときでもあるまい。鉄砲でもかつぐ稽古をした方がどんなによいか知れん。 気を付け! 回われ右ッ、前へィすすめ!」  松永安左エ門、ちょうど、その場に行き合わせての、目撃談である。

 加藤三明幼稚舎長によれば、幼稚舎が天現寺に全校移転した1937(昭和12) 年の頃には、現新体育館、そして新館21と自尊館にはさまれた所には、依然 として福沢邸があり、先生の令孫八十吉氏(長男一太郎氏の長男)が住み、そ の令息で亡くなった範一郎さん(昭和17年幼稚舎卒)は、この邸宅から塀を 潜って幼稚舎に通っていたと話していたという。 範一郎さんは、ずっと福澤 先生誕生記念会に、福沢家代表として登壇なさっていた。 目がご不自由で、 奥様に付き添われての出席だった。 なぜか一昨日書いた北里一郎さんの講演の あった2009(平成21)年の回から、次男捨次郎氏曾孫の信雄さんに代わって いた。 「亡くなった」のを知らなかった。 インターネットで検索すると、 日にちは判らなかったが、今年の3月に亡くなり、6月5日に慶應義塾大学で 「お別れの会」があったという。 それで年を取るにつれ視力を失ったが、1964 (昭和39)年から、野鳥の声の録音と研究を始め、盲目の野鳥録音家として知 られていたことを知る。 蒲谷鶴彦氏の一番弟子、この分野の創生期を支えた 一人で、集録した鳥の声は、鳥類図鑑、博物館の教材、放送などに使用されて おり、主な出版物に『日本の野鳥』(アサヒソノラマ)、『野鳥のファンタジー』 (ビクター音楽産業)、『Mother nature symphony 鳥(1)~(3)』、『さわる 図鑑(1)(2)』、『四季の野鳥』(ナツメ出版)などがあるという。