耳ざわりなアクセント2015/06/12 06:44

 「速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち」を見たあと、館内のレスト ラン、ル・ジャルダンで食事をし、それぞれ一言ずつしゃべった。

 テレビはあまり見ないけれど、最近のアナウンサーのアクセントが気になっ て、しかたがないという話があった。 「苺」を「ちご」を強く言う「イちご」 でなく「いチゴ」、「熊」を「クま」でなく「くマ」、「奇跡」を「キせき」でな く「きセキ」というと、言うのである。 「新橋、有楽町」、JRの駅のアナウ ンスにも、おかしいのがあると言う。 お互い歳を取ったものである、昔、池 田弥三郎さんがよく苦言を呈していた。

 池田弥三郎さんの『暮らしの中の日本語』(創拓社)をひっぱりだしたら、「目 ざわり・耳ざわり」の章があった。 「気になることば」(『風景』昭和50年6 月)という文章に、「へんな言い方の一覧表」があった。 ◇熊さん・八ッっあ ん 人間の「くマサン」と、動物園の「クま」とが、仲良く「くマ」になった。 動物が出世したのか、人間が、おりに入れられたのか。ここ二、三年の間の変 化であった。 さらに、◇一票と一俵 選挙戦にはいると、盛んに使われる「清 き一票」が、アクセントがみんな「一俵」である。「いッピョウ」は一俵。一票 は「イッぴょう」である。 ◇那須の温泉 那須は「ナす」。それが「なス」に なった。「なス」なら茄子になってしまう。那須の温泉のむこうに胡瓜の温泉が あり、茄子の余一(与一とも書く)がかぼちゃの五郎を家来につれてでてくる ことになる。

 駅のアナウンスについては、噺家で伸治が長かった先代の桂文治が、地元の 「目白」を始めとして、よく文句を言っていた。 三田完さんの『あしたのこ ころだ―小沢昭一的風景を巡る』にも、こんな話があった。 小沢昭一さんは 昭和4(1929)年に蒲田の写真館に生れたが、蒲田駅のホームで流れる『蒲田 行進曲』も同じ年の生れだという。 アメリカのオペレッタの一曲に堀内敬三 が日本語の詞をつけた、その年に公開された五所平之助監督の松竹映画『親父 とその子』の主題歌で、のちに松竹撮影所の所歌となった。 その蒲田で少年 時代を過ごした小沢昭一さんは、蒲田を語るとき「カマタ」と平板のアクセン トを用いていたそうだ。 ふつう、語頭の「か」を強く発音して「かマタ」と 言う。 蒲田のひとびとの間では、地元育ちかヨソモノかを判別する指標にな っているらしい、というのである。