経営学のドラッカーが日本美術のコレクターだった2015/06/13 06:33

 7日の「日曜美術館」が素晴らしかった。 高度成長期、日本の経営者やビ ジネスマンによく読まれた経営学のピーター・ドラッカーが、日本美術のコレ クターだということは、まったく知らなかった。 28日まで千葉市美術館で、 「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画「マネジメントの父」が愛した日本 の美」が開かれているという。 解説していた千葉市美術館の館長河合正朝さ んは、「六四の会」と同じ1964年卒業の同期だ。 実は世田谷美術館長の酒井 忠康さん、ポーラ美術館長の木島俊介さん、松濤美術館長の西岡康宏さんも、 同じ年の文学部美学美術史学科の卒業、美術関係の重鎮を輩出している。

 ピーター・ドラッカーは1909(明治42)年ウィーンの裕福なユダヤ系家庭 に生れ、ナチスの台頭でイギリスへ移住した。 1934(昭和9)年6月、突然、 日本美術への恋に陥ってしまった。 男女の恋と違って、それは45年経った 今も続いていると、「日本美術への恋文(ラブレター)」という文章に書いて いるそうだ。 1939(昭和14)年、29歳で『経済人の終わり』を著して、な ぜファシズムが生まれたかを説き、チャーチル首相に絶賛された。 第二次大 戦中ワシントンに呼ばれ、アメリカ政府関係の仕事をしていた。 役所で面白 くないことがあっても、昼の一時間ほど、フリーア美術館へ行き、日本の絵な どを見ていると、「正気に戻る思い」がしたという。 ドラッカーはそこで、室 町時代の水墨画の画家たちを発見する。

 最初に購入したのは、式部輝忠の《渓流飛鴨図》。 室町水墨画を、西洋ルネ ッサンスの絵と比較して、よく似ていることを発見する。 西洋ルネッサンス が、神中心から人間中心のヒューマニズムをめざしたように、室町時代の水墨 画も、中国という根から日本独自の花を開かせた、ルネッサンスと呼び得るだ ろう、とする。 一例を挙げれば、伝 仲安真康(ちゅうあんしんこう)筆の三 対(幅)の水墨画がある。 中央に《白衣観音》はあるが、左右に《李白》と 《陶淵明》を描いている。 宗教的画題の仏画から、世俗的な人物画や花鳥山 水というより人間的芸術的な画題へと広がっている。 玉畹梵芳(ぎょくえん ぼんぽう)の《蘭石図》の、やわらかくしなやかで、優美な線は、一時代前、 鎌倉・南北朝時代の鉄舟徳済の《蘭石図》の強靭で、孤高な線と、比較するこ とができる。

 室町ルネッサンスを代表するのは、雪舟等楊の水墨山水画である。 《秋冬 山水図・冬景》(東京国立博物館蔵)。 禅僧だが、宗教的画題を描かず、山水 画を描いた。 宗教よりも、ヒューマニズムを優先し始める。 精神的なもの から美的なものへ、宗教のための芸術から芸術のための宗教への移行を意味し た、とドラッカーは言う。