牛込あたりの猫は、よくしゃべる2019/05/15 07:18

 夏目漱石の生れた馬場下や神田川のあたりは、2014年の「志木歩こう会」の 「早稲田から神楽坂へ」で歩いていた。 付近に若干の土地勘があるのは、あ の「歩こう会」にも参加した赤松晋さんが南榎町在住で、高校時代に彼の家に 遊びに行ったからである。 彼にメールを打つことがあって、たまたま読んだ 磯田道史さんの『江戸の備忘録』(文春文庫)に土地に関わる面白い話が出てい たので、時に、お宅牛込南榎町の黒柴は、人の言葉をしゃべりますか? と、 こう書いたのだった。

 江戸人は「猫は十年、人に飼われると人語をしゃべる」と信じていた。 と くに牛込あたりの猫はよくしゃべった。 まず寛政7(1795)年春、牛込山伏 町の和尚の飼い猫がしゃべった。 庭でハトをねらっていたので、和尚が「あ ぶない!」と声をかけてハトを逃すと、猫は不服そうに「残念なり」とつぶや いた。 ところが和尚は豪胆、猫に小刀を突きつけ「おまえは畜類。しゃべる のは奇怪至極。化けて人をたぶらかすつもりか」とせまった。 すると猫は人 の言葉で「我に限らず、猫というものは十年生きれば、すべて物を言うものぞ」 と答えたという(『耳嚢(みみぶくろ)』)。

 また天保6(1835)年秋、牛込榎町の幕臣・羽鳥氏の飼い猫がしゃべった。  〈年久敷飼置(としひさしくかいおき)たる白黒ぶちの雄猫〉で、縁側で寝て いたが、隣の猫が来て「ニヤァ」と鳴くと、人の言葉で「来たな」と言い、そ れ以来、牛込の猫はしゃべると評判になった。

 それから32年経って、猫がしゃべった牛込榎町一帯の名主・小兵衛の家に 男子が生れた。 名は金之助という。 この金之助、大人たちから「猫はしゃ べるもの」と聞かされて育ち、のちに名作小説を書いた。 そう、金之助とは 夏目漱石の本名、小説は『吾輩は猫である』である。