「ぐんま県境稜線トレイル」と慶應ワンゲル部2020/09/23 08:06

 そんなことを書いていたら、9月13日に「秀吉の中国大返し、朝日新聞「みちのものがたり」の疑問」でくさした、朝日新聞「みちのものがたり」の19日が「ぐんま県境稜線トレイル」だった(文・畑川剛毅記者)。 日本百名山・谷川岳の登山口・土合(群馬県みなかみ町)から、同じ百名山の四阿(あずまや)山のふもと鳥居峠(嬬恋村)までの全長100キロ、新潟県、長野県と境を接する群馬県境の稜線をつなぎ、稜線をたどるトレイルとしては日本一長いものだそうだ。

 登山道がなかった白砂山-三坂峠には新たに道を通した。 トレイルは群馬県職員の発案、2016年に事業化され、総額9700万円をかけて整備し、2019年には、登山者の安全を考えてムジナ避難小屋を建設、水場も確定した。

 新規開通区間の東側に続く三坂峠-稲包山-三国峠は、有志が無償で刈り開いたものだという。 慶應義塾大学ワンダーフォーゲル部(私は、同窓同級の知人が何人もいた)は1958(昭和33)年、三国峠から新潟側に下った浅貝(湯沢町)に部の山小屋を建てた。 当時は、谷川連峰といえども、谷川岳周辺を除けば登山道は未整備で、踏み跡がある程度。 部員が何度となく県境稜線を歩き、道をつけた。

 記者は、山小屋の建設に汗を流したOBの妹尾昌次さん(83)に取材している。 卒業翌年の1962年(というから三年先輩になる)、最も親しかった山仲間の一人が、谷川連峰の最高峰・仙ノ倉山の東にある毛渡乗越(けどのっこし)で、猛烈な風雨に遭い寒さと疲労のため凍死した。 死を悼み、二度と事故が起きないようにと避難小屋の建設を呼びかけ、越路避難小屋が建てられた。 妹尾さんにとってこの稜線は青春の山であり鎮魂の山である。

 妹尾さんは、世紀が変わる頃、県境稜線を歩く登山者が減り、道がなくなっていることを知った。 道を作れば現役部員との交流も広がると提案、趣旨に賛同したOB、現役が集まり、2000年に旧三国スキー場-三坂峠-稲包山、翌年に稲包山-三国峠の稜線計13キロに道をつけ、環境省の規則にのっとった道標も17カ所に設置した。

 県境稜線は豪雪で知られる。 雪に押されてシャクナゲはまっすぐに成長せず、地面をはうように伸びる。 うっかりチェーンソーを当てると、刃こぼれするほど堅かった。 ササを刈っている間に雷が付近に落ちたこともある。 延べ参加人員215人、34日かけて13キロの登山道が完成した。 その後も10年近く登山道維持のため、草刈りなどを続けた。 すべて仲間内の資金で賄ったそうだ。

コメント

_ 濱田 洪一 ― 2020/09/23 19:55

凍死したのは、我々と同期の小松賛平さんでしょうか?彼は卒業前の1962年に亡くなりましたが、理工学部同窓会名簿に載っています。私は工学部サッカー部で、ワンダーフォーゲル部(当時は山岳部と思っていました。)と部室が一緒でした。狭い部室の中で黙々と道具を手入れしていた、小松さんが忘れられません。

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