ダイアー、帰国後の活動、まるで非公式の日本大使 ― 2022/08/04 07:04
『ヘンリー・ダイアー物語』の第三章「晩年」、第四章「ダイアーが残したもの」では、1882(明治15)年に日本からグラスゴーに戻った後の、ヘンリー・ダイアーが語られる。 ダイアーは帰国後、うまく大学の要職には就くことができなかったものの、スコットランド西部の大学や学校で種々の幅広い教育活動に関与した。 グラスゴーの王立技術カレッジ(現在のストラスクライド大学)では終身理事として貢献、グラスゴー学務委員会の委員を27年間務め、委員長にもなった。 ダイアーはまた、社会的・宗教的活動にも積極的に関与した。 グラスゴー市から治安判事に任ぜられたし、組織されたばかりの協同組合運動の活発な活動家の一人だった。 産業界の仲裁人として労使双方から広く尊敬を受け、西部スコットランド製鋼業仲裁委員会の副委員長を25年間務めた。
ダイアーは、日本とスコットランドの交流と親睦を推進するために活躍した。 多くの点で、地元コミュニティと日本の国を結ぶパイプ役を果たし、まるで非公式の日本大使のようだったという。 グラスゴーに留学してきた多数の日本人学生を支援し、グラスゴー大学に入学するための資格試験の外国語選択科目に日本語が採用されるよう尽力した。(福沢三八、グラスゴー大学で夏目漱石の問題を受験<小人閑居日記2020.8.12.>「グラスゴウ大学日本語試験委員・夏目漱石」<小人閑居日記 2020.8.13.>)
ダイアーは、日本から帰国する際、選び抜かれた日本の絵巻物や掛軸、浮世絵、工芸品や楽器を持ち帰っている。 これらは蔵書とともに、没後、娘のマリーによってグラスゴーのミッチェル図書館やエディンバラ市立中央図書館などに寄贈された。 最近になって、エディンバラ市立中央図書館のこのコレクションの中に、古山師政の約13メートルの貴重な絵巻物(吾妻野楼図絵とか、江戸往来図絵とか称される)があるのが発見された。 楽器は、グラスゴーのケルヴィンググローブ美術館・博物館に寄贈されている。
ヘンリー・ダイアー著“Dai Nippon”(1904)は、1999(平成11)年に平野勇夫訳『大日本、技術立国日本の恩人が描いた明治日本の実像』として、実業之日本社の創業百周年記念事業の一環で出版された。
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