「海山のあはひの町」大磯2023/08/10 07:07

   海山のあはひの町へ虎が雨   津田祥子

 「虎が雨」陰暦五月二十八日に降る雨。 「虎ヶ涙雨」ともいう。 この日は曾我兄弟が討たれた日で、兄十郎祐成(スケナリ)の愛人であった大磯の遊女虎御前がその死を悼んで流した涙が雨となって降るという伝説に基づく。 大磯は、まさに「海山のあはひの町」である。 明治初期の医者松本順(良順)は、大磯が海水浴・避寒の適地だと説き、この地が日本最初の海水浴場、別荘地になった。 福沢先生が大磯の人々にその恩を忘れるなと「大磯の恩人」という一文を書いて、よく避寒に逗留した旅館松仙閣の主人に渡した。 のちに照ヶ崎の海岸に福沢門下生らの手で松本順頌徳碑が建てられている。 大磯の裏山には、大磯在住の友人に案内されて、高麗神社の高麗山から湘南平に登ったことがあった。 <見開きの絵本のやうや夏の海>はもとより、秦野や伊勢原の広がり、丹沢、箱根から富士山までが、眺められた。

 2021年11月28日に慶應志木会・枇杷の会の大磯吟行、鴫立庵二十三代庵主本井英先生の本拠地での句会があった。 鴫立庵は、「湘南」の名の発祥の地でもある。 その時、『夏潮』初期の「季題ばなし」に書いた2011年7月号「海水浴」、2012年6月号「虎ヶ雨」を配らせてもらった(このブログ「小人閑居日記」2021年12月3日、4日で読んで頂ける)。

 17年目を迎えた『夏潮』8月号、本井英「主宰近詠」に「虎ヶ雨」が五句プラス一句ある。
虎ヶ雨降り込む闇の底知れず
広重の画をた走るも虎ヶ雨
一庵の聾(ミミシ)ふるまで虎ヶ雨
虎ヶ雨泣いて疲れて寝落ちたり
泣き伝へ語り伝へて虎ヶ雨
虎御前の顔セ白き五月闇

 さらには、次の二句もある。
海の町に迫る裏山五月晴
海の町に小さき魚屋五月晴
 名古屋場所で入幕を果たした上、10勝5敗で敢闘賞を受賞した湘南乃海は、大磯の魚屋さんの息子だと聞いている。