ファンを取り込むアメリカのスポーツ2008/02/06 07:50

 スーパーボウルは、いかにもアメリカらしいイベントで、アメリカ人らしく 楽しんでいる様子が、テレビで見ていても伝わってくる。 フェニックス大学 スタジアムのまわりには、数日前からだろう、遊園地のようなものが出来てい て、子供たち(大人も)をアメリカン・フットボール好き、スポーツ好きにす るような楽しいゲームが用意されている。 グッズも、いろいろ手に入る。

 3日、NHKスペシャル「日本とアメリカ」第3回「日本野球は“宝の山”~ 大リーグ経営革命の秘密~」が面白かった。 巨万の富を持つヘッジ・ファン ドの経営者で「世界で最も優れた商品トレーダー」といわれるジョン・ヘンリ ーがオーナーになって以来6年間のボストン・レッドソックスの経営手法に迫 った。 ジョン・ヘンリーは、再建請負人のラリー・ルッキーノを社長に起用、 ルッキーノは経営陣を一新し、今までいなかったマーケティング、チケット販 売、球場デザイン、グローバル経営などの専門家をチームに加えた。 まず球 場フェンウェイ・パークの大改造に着手、ホームランが飛んでくるレフトのグ リーン・モンスター上に作った270席(1万3千円)や、子供たちが試合前の 練習中にグランドの隅に入ってボールを拾えるおまけのついた席(3万円以上 する)は大好評、チケットは5年間、完売という。 ファンの要求には徹底的 に応えて、ファン・サービス部の25人のスタッフは毎週数百通は届く手紙の すべてに返事を書く。 6年でレッドソックスの売上げは2倍になった。 松 坂大輔投手の獲得は、入札金を含め6年で110億円の投資だったが、日本のフ ァンや広告スポンサー、つまりジャパン・マネーを引き寄せる周到な狙いがあ った。 多くの資金と時間を費やして、勝てるチームを作れば、市場がひろが り、さらに収入が増えることになる、というのである。

レッドソックスの選手獲得「新指標」二つ2008/02/07 07:38

「日本野球は“宝の山”~大リーグ経営革命の秘密~」の前半では、金融の 世界での成功は意味のある指標を見つけ出すことが大事だが、野球でも同じだ、 という「世界で最も優れた商品トレーダー」ジョン・ヘンリーの手法が、紹介 された。 レッドソックスは、これまで高い評価を受けなかった打者や投手の 隠れた才能を見出すために、従来の打率や防御率でない「新指標」を導入した。 

一つは、普通の打率=安打÷打数でなく、“第二の打率”=塁打数-安打+四 球+盗塁。 ゼネラル・マネージャーのセオ・エプスタインが、5年前に獲得 した3番打者、デビット・オルティーズは長打力はあるが、打率が低いため、 他球団があまり注目していなかった。 弁護士資格を持つ29歳、データ分析 に精通したエプスタインは、勝つためには塁に出て点を取ることが大事と、長 打力に四球と盗塁を加えた“第二の打率”に注目、オルティーズを獲得、彼は 2004年の優勝、86年ぶりのワールド・シリーズ制覇に大きく貢献した。 今、 年俸1千万ドル、当時は百万ドルの価値しかないと思われていた。

もう一つは、オーナーがインターネットで見つけた一野球ファンで野球デー タ分析愛好家のボロス・マックラッケンの「新指標」だった。 防御率=自責 点÷投球回×9に替わる「三振÷四球」。 防御率は、チームの守備力に影響を 受けてしまう。 巨人時代(1995~2005)の岡島秀樹投手は、防御率4.75だ ったが、多いほどよい「三振÷四球」は2.95(大リーグ平均は2.0)、日本ハム (2006)では4.50だった。 ずっと岡島に注目していたレッドソックスは、2 年契約3億円で契約したが、エプスタインは他のアメリカ人投手の半分以下の 金額だという。 優秀な選手を安く獲得し、余った資金を松坂大輔のようなス ーパースターの獲得に回す、合理的な選手獲得システム、コスト・パフォーマ ンスだ。 今シーズンの岡島の活躍はご存知の通り、優勝とワールド・シリー ズ制覇に大きく貢献した。 「第二の岡島」を狙って、ロイヤルズが薮田安彦 を、インディアンズが小林雅英を、レンジャーズが福盛和男を採用した。

 ずいぶん単純なところに、金儲けのタネがあり、世の中を動かすことに、驚 く。

「レッドソックス国家」苦難の歴史2008/02/08 07:44

1月21日の「読んでみたい本」に挙げたアンドリュー・ゴードン著、篠原一 郎訳『日本人が知らない松坂メジャー革命』(朝日新書)を読んだ。 アンドリ ュー・ゴードンさんは、1952年ボストン生れ、ハーバード大学で博士号を取得 (歴史・東アジア言語専攻)、95年に同大学歴史学部教授、98~2004年同大学 エドウィン・O・ライシャワー日本研究所所長。 夫人は、美枝さんという名 だ。

ボストンを中心とするニューイングランドには「レッドソックス国家」とい うものがある。 ゴードンさんも、その熱烈な市民の一人だ。 この国家には 楽観党と悲観党があるが、国民投票をした場合、悲観党が圧勝するのは間違い ない、という。 2004年になんと86年ぶりに、ワールドシリーズ優勝を果す まで、この弱小球団を応援することで味わってきた数々の過去の苦い経験が、 その市民たちを運命論者にしてきた。 たとえば1986年のメッツとのワール ドシリーズ、3勝2敗で迎えた第6戦、延長10回に2点を勝ち越し、その裏 のメッツの攻撃も二死無走者、優勝まであとひとり、2ストライクと迫りなが ら、3連打とワイルドピッチで同点、一塁ゴロをビル・ハックナーがトンネル してサヨナラ負け、第7戦も大敗した。 だからレッドソックス国民は、平清 盛から西郷隆盛まで、悲劇の英雄に代表される「失敗の高貴」を賞賛する国家 というイメージがある日本に、特別の親近感を持っているという。

憎っくき敵は、あのペン・ストライプのヤンキース、「悪の帝国」、「ブロンク ス・ボンバーズ」だ。 「宿敵」と呼ぶには疑問がある。 一世紀を超す両者 の関係は、ヤンキースの「一人勝ち」の連続だからだ。 20世紀初頭の20年、 レッドソックス(ボストン・アメリカンズ)は最強で、ヤンキース(ハイラン ダース)は最下位争いの定連だった。 1907年にレッドソックスとなり、1914 年にベーブ・ルースが入団、1915年、16年、18年とワールドシリーズを制覇 した。 しかし1920年、悪名高いトレードでベーブ・ルースがヤンキースに 移籍してから、テーブルがひっくりかえった。 以後2000年まで、ヤンキー スのワールドシリーズ制覇は26回、レッドソックスはゼロだった。

多民族国家アメリカの国技2008/02/09 07:56

 『日本人が知らない松坂メジャー革命』で、いくつか印象に残ったことがあ った。 その一つが、野球が多民族国家アメリカの国技だということだ。 ア ンドリュー・ゴードンさんの曽祖父は、ロシアのユダヤ人家庭に生れ、1885 年に13歳でアメリカに移民してきた。 アメリカ文化に順調に溶け込んで、 新聞売りから身を起こし、ボストンの「皮革地域」の中心地で靴底製造の会社 を起して成功した。 その私有地の池に1942年、前年いまだに破られない4 割6厘を打ったレッドソックスのテッド・ウイリアムスが、釣りにやってきた というのが、ゴードン家自慢の一つ話だ。 このエピソードをゴードンさんは、 20世紀初頭、幾多の緊張をともないながら、野球が「移民」を「アメリカ人」 に変えるのに役立ってきたという歴史のひとこまだと紹介する。

 ゴードンさんは、1950年代と60年代には、野球は根強く残る人種問題の解 決という、アメリカの宿命的課題に貢献することになった、という。 ジャッ キー・ロビンソンを皮切りに、アフリカ系アメリカ人が迫害を受けながらも、 大リーグという舞台で活躍を許されていく。 70年代には中南米やカリブ海沿 岸地域の選手たちが、近年は、日本・台湾・韓国の選手たちがやってくるよう になった。 松坂獲得というレッドソックスの「日本戦略」には、この球団の 歴史上の陰の部分、すなわち強い人種差別球団だった歴史を打ち消そうという 企図もあった、とゴードンさんはいう。 別の所にはレッドソックスが、ヤン キースにくらべて圧倒的に多く、アメリカン・ユダヤ人を受け入れてきたとい う話も出てくる。

 ゴードンさんは「松坂のピッチングに対するアメリカ人のリアクションは、 当然ながら「国技の野球」への自信と尊敬の気持ちであろう。 と同時に、わ たしはそこに、異民族間の連帯を強化し、民族の壁を超越するスポーツの可能 性を、再確認するのである」と書いている。

日米野球文化の融合2008/02/10 08:11

 松坂大輔は大リーグに、どう適応していったか。 ゴードンさんは、ピッチ ングコーチのファレルとのインタビューで、5月3日シアトル・マリナーズに 7失点を与えた後、松坂がそれまで意識的に適合しようとしていたアメリカ式 の練習方法から、日本で慣れ親しんだ走り込みと投げ込みを中心にした練習に 戻り、上半身のウェイトトレーニングの量も減らしたことを、聞き出している。

 松坂は5月14日、地元でのデトロイト・タイガース戦で、124球の初完投 勝利をあげた。 つぎの19日のアトランタ・ブレーブス戦も絶好調、8回を終 わって13対3とリード、投球数は104だった。 記者たちが記録を調べると、 レッドソックスで二試合連続完投勝利をした投手は、なんと11年前のあのロ ジャー・クレメンスだった。 だがフランコーナ監督は、ここで松坂をおろし、 松坂は試合後「完投したかった」と語った。

 日本より長いシーズン、長い移動距離、日本での「中6日」から、大リーグ の「中4日」(毎日試合があり、5人の先発投手陣で回す)100球を目途とする ローテーションへの変化に、どう適応するか。 登板と登板の間の練習量をど うするか。 松坂と、監督、ピッチングコーチの試行錯誤、それをめぐるマス コミやファンの議論も、シーズンを通じて続くことになった。 ゴードンさん は、日米双方のピッチングに関する考え方の相互理解が進んだという。 大き く見ると、異文化同士が相互に影響を及ぼし合い、時代とともに劇的に変遷し ている。 文化というものは、歴史や地球レベルの交流のなかで形作られてい くものなのだ、という。