民主主義のタブーと実体化2009/12/01 07:31

辻井喬さんの松本清張論の続き。  松本清張は、文壇的には孤立していた。 でも、清張ファンのグループを作 ろうとはしなかった。 反俗(孤高を楽しむ・貴族性)の作家というより、非 俗(俗から生まれて俗でない)の作家だった。 エピソードがある。 ある大 手出版社が近現代文学全集を企画した。 三島由紀夫が「清張が入るなら、私 は降りる」と言った。 全集に清張は入らなかった。

 吉川英治に「英雄史観」、司馬遼太郎に「懐古史観」がある。 「松本史観」 は、思いつかない。 清張は、はっきりとした「史観」を持つことを、気をつ けて避けていた人ではないか。 感じたまま、見たままを、出来るだけ説得力 を持って書くために…。

 「民主主義のタブー」というものがある。 民主主義は形だけで、中身がそ れにともなわない。 いつまでたっても、実体化しない。 民主主義を支える、 自分をしっかり持った民衆が生まれてこない。 多数決で決めたからいいんだ ろうというが、その中身まで立ち入って、いい結論を出したかどうか実証する ことこそ、民主主義の実体化だろう。 松本清張は、民主主義の実体化に大い に貢献した作家だったのではないか。   日本だけに冷戦時代の政治体制が残っていた。 それがいよいよ壊れかけて きたところだ。 日本は大いに遅れたけれど、その体制に入ってきた。 清張 の文学の力が、表に出て来るのは、これからではないか。 今こそ、清張の時 代なのではないか。 辻井喬さんは、そう話した。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック