池井戸潤さんは慶應から三菱銀行2010/08/06 06:45

 池井戸潤著『鉄の骨』、けっこう面白く、引き込まれるように読んだ。 池井 戸潤さんは、1963年岐阜県生まれ、1988年に慶應義塾大学を卒業して、三菱 銀行(当時)に入り、1995年退職したという。 銀行が出て来るわけだ。

 二千億円規模の地下鉄工事の資金調達のために、一松組社長、尾形常務に付 いて、プロジェクトの計画書を入れた鞄を提げた平太が、萌のいる白水銀行の 支店長に交渉に行き、「審査する」とだけしか言わぬ厳しい回答を得る。  課に戻った平太は言う、「銀行なんてのは、いつだってそんなもんよ。儲かっ てる会社には平身低頭で金借りてくれなんていうくせに、業績が悪くなったら 手のひらを返したように冷たいんだ。そもそもウチがつまずいたのは、バブル の頃に銀行主導でやったゴルフ場開発とかリゾートホテルとかが軒並みダメに なったからなんだぜ。なのに、いまや銀行は自分たちの責任なんかまるでない ような顔して、木で鼻をくくった対応だ。以前は、銀行の支店長のほうがウチ に日参してきてたらしいっていうのによ」

 きのう書いた「投資信託」の話、前にどっかで聞いたことがあった。 思い 出した。 先頃亡くなった井上ひさしさんだった。 2003年10月に明治大学 で聴いた『座談会 昭和文学史』(集英社)刊行記念の講演だったと思う。 井 上さんは「日本人はかわいそうだ」という話をした。 敗戦直後のひどい状況 の中から立ち上がり、勤勉に働いて、工夫に工夫を重ね、経済大国となり、1980 年前後には、公平で安全な社会をつくっていた。 その日本人が今、おたおた している。 社会保障や医療制度は崩壊の危機にある。 がんばった結果が、 この不安だ。 勤勉に働いて、貯金してきた高い貯蓄率の日本人、いま、定期 預金でも金利がほとんどつかないから、少しでも利回りのよいものをと、元金 の保証のない「投資信託」を買わされている、客は損をしても銀行にはきちん と手数料が入る、「日本人はかわいそうだ」と話していた。

「没後25年 有元利夫展 天空の音楽」2010/08/07 06:39

 38歳の若さで逝った有元利夫の絵には、どこか惹かれるものがあって、毎年 三番町の小川美術館で開かれる展覧会を見に行くようにしている。 先日は、 東京都庭園美術館の「没後25年 有元利夫展 天空の音楽」を見て来た。 有 元利夫の絵の雰囲気が、旧朝香宮邸のアール・デコの建築や装飾に溶け込んで、 とてもよい展覧会になっている。 その全貌が見渡せるから、この展覧会によ って、また新たな有元利夫ファンが生まれるのではないか、と思った。 おす すめだ(9月5日まで、8/11、8/25休み)。

 今回初めて見た卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」 (1973)の連作には、二つのことを感じた。 今まで見たことのなかった原色 に近い赤や、群像が描かれていること。 そして、その後の作品に特徴的なフ レスコ画風の技法が、すでに使われていること。 有元利夫は、25歳で藝大在 学中の昭和46年、イタリアで15世紀の巨匠ピエロ・デラ・フランチェスカの フレスコ宗教画と運命的な出会いをする。 深い感銘を受けるとともに、日本 の古い仏画や寺院の壁画を思い出し、宗教画の根本には洋の東西に共通するも のがあると確信、特異な表現を切り拓いていく。 その出発から、有元利夫独 自の世界を掴んでいたのだった。

 有元利夫は、(1)なぜほとんどの場合一人の人間しか描かないのか? (2) 女のようであるが、中性的で、なぜこれほど体格がよく、腕が太いのか? (3) 手の先は細かく描かれず、脚はスカートやテーブルに隠れているのは、なぜか?  (4)紅白の玉や花、トランプ、花びら、花火、果ては人間までもが、浮遊し ているのは、なぜか?

有元利夫の描く人物・手と脚・浮遊2010/08/08 06:49

 最近、美術展に行って感じるのは、絵の題名や解説の字の小さ過ぎることだ。  歳を取ったことも、目が悪くなったことも、あろう。 でも、もう少し大きく、 読みやすく(バックの色や照明なども含め)してくれないかと思うのは、毎度 のことだ。  東京都庭園美術館の「有元利夫展」でも、有元利夫の言葉を引用した解説板 が、とても読みにくかった。 表面の覆いが光っていて、バックの色も濃い。  読めば、なかなかいいことが、書いてあるのに…。 なるべく、展覧会の図録 は買わないようにしているのだが、今回のは嵩張らないサイズだったこともあ って、求めて来た。

 それで、昨日の設問に答える。 (1)なぜ一人なのかというと、二人以上 の人物が登場すると、関係が出てくるからだ、そうだ。 関係というのは、そ の「場」とそこに居る人とのものだけでいいんじゃないか、と有元は考える。  一人なら、あらゆる関係を取り去った人間全体を象徴するものとして、人物を そこに描き出し得る、と。   (2)・(3)あれは必ずしも女でなくてもいい、人 間でなくては困るけれど…。 脚を描いてしまうと、たとえば歩いているとか、 組んで坐っているとか、要するに何をしているかがはっきりわかってしまう。  やっていることが、はっきり見えて説明的になってしまう。 その辺はあくま でも暗示にとどめ、隠しておきたい。 脚を描かない、すっぽり覆う、となれ ばスカートで、それをはいた人間はとりあえず女ということになる。 手をは っきり描かないのも、同じ理由からで、説明的になるのを避けている。

 (4)嬉しい時、幸福感でいっぱいな時、ひとは「天にも昇る気持」という。  有元は、この言いまわしが大好きだという。 紅白の玉や花、トランプ、花び らがふわふわ飛んでいたり、花火が空に向かい、果ては人間そのものが宙に浮 き、浮遊しているのは、それがエクスタシーの表現だからだ。 音楽を聴いて いても、その陶酔感は有元の中で、浮遊に結びつくのだそうだ。

有元利夫、独自の画風について2010/08/09 06:33

 5回藝大受験を経験してデザイン科に入った有元利夫は26歳で、電通に就職 が決まったのを機に、藝大で知り合い、先に日本画科を卒業していた容子さん と結婚した。 容子さんは、一時は筆を折り、妻として、助手として、有元利 夫の制作を支えた。 今は、日本画家で、実践女子大学教授だそうだ。 その 容子さんは、この展覧会の開会式で、有元利夫のどこか古びた作風について、 「有元や私が学生のころは学生運動真っ盛りで、古い体制を壊し新しいものを 求めた時期でしたが、そんなときに悩んで見いだしました」と、語ったという (7月15日朝日新聞夕刊)。

 有元利夫は、自らの画風について、こんなことを言っている。  「様式」はなつかしい。 それは、現代が失ってしまったもののひとつだか らだ。 現代に入る前、人間は洋の東西を問わず、常に「様式」を持っていた。  その時代その時代の、ものを作る人々を、まるごと支えていたような大きな「様 式」を。  「風化」が好きだ。 フレスコ画を見ると、いかにも時間そのものが喰い込 んでいる感じがして。気持が安らぐ。 時間に耐えて、「風化」して、それでも 「そこに在る」というものは、ピカピカの出来立てと較べ物にならないほどの 存在感、リアリティを持っているように思える。  個性一辺倒の現代に、何かやすらぎを与える「大きな小宇宙」。 自分の気に 入ったモチーフを、ランダムに、趣味的に選び、自由で気ままな「空間」を作 り、その「空間」にドラマが生まれ、物語が聞えてくればいい。

 有元利夫の絵の前に立って、しばらくその世界の中に入り込む。 有元は説 明的になることを嫌っているから、見るものは自分の記憶を総動員して解釈し、 物語を紡ぎ出さなければならない。 それは、きわめて俳句に似ているのだっ た。

十代の恋愛、七十代の恋愛2010/08/10 06:34

 7月、黒井千次さんが朝日新聞夕刊文化面のコラム「私の収穫」を、この欄 にしては珍しく10回も連続で書いていた。 サラリーマンから作家生活に踏 み切るあたりや、高校生の時に書いた物が日の目を見た話も面白かったが、第 9回「朝の顔立ち」と第10回「夕べの面影」を読んで、ちょっと鼻を高くした。

 この日記の4月13日に「行き止まりに、小さな穴をあける」と題して、黒 井千次さんの『高く手を振る日』(新潮社)を紹介し、14日の「70代の初々し い「恋」」では40代に差し掛かる頃読んだ『春の道標』に触れた。 そこには 「『高く手を振る日』を読むと、「恋」に年齢は関係がないらしいと思えてくる。  70代の嶺村浩平の思いと躊躇(ためら)いは、まるで中高校生の初恋のようだ。  今時のそれはもっと直截なのかもしれないから、「昔の」と断わったほうがいい かもしれないけれど…」と書いた。

 黒井さんは「朝の顔立ち」で、40代の終わり1981年刊行の『春の道標』が 当時の夏休み読書感想文コンクールの課題図書になり、高校生たちが「なんだ、 親たちの世代も私たちと似たようなことをしていたのだな、という柔らかな溜 息に似た呟き」をもらしていたことに安堵したという。 「夕べの面影」では、 『高く手を振る日』について「今度は自分が七十代の後半にさしかかってその 年齢の恋愛を書くことは、『春の道標』を書いたことと遠く呼応し合うような気 もした。」「七十代の恋愛が十代の恋愛と同じとはいえまい。年齢や時代が違え ば環境も異なる。にもかかわらず、やはり変わらぬものがあるのかもしれぬ。 まだもうしばらく、そのあたりの夕べの面影を見つめていたい気持が強い。」と 書いている。

 そうそう、いつぞやの句会の帰り、私のブログを読んでくれているらしい50 代の連衆が、「馬場さんご推薦の『高く手を振る日』を読みましたよ」と、言っ てくれた。