吉田小五郎さんと福澤先生2013/03/14 06:40

 桑原三郎先生の『下湧別村』の「『幼稚舎家族』の刊行」(平成2(1990)年 2月)という文章には、私が「索引の、不思議な項目」と書いたものに関連し て、こうある。 「索引の項目に、「和を以て貴しとする」がございます。舎長 として幼稚舎の運営をなさった時の吉田先生の信条ですが、その根底には、私 の心、つまり私心の無い吉田先生の、幼稚舎生と教職員に対する、溢れる慈愛 がありました。だから、当時の幼稚舎は大変和やかで、一方、理想に燃えると ころがありました。」

 「又、「和して同ぜず」という言葉も、吉田先生のお好きな言葉で、……(中 略)……よく考えて、別の言葉を当てるとすれば、これは独立自尊(傍点)に 外ならない。」

 「吉田先生は、卑しさを甚だ嫌われましたが、人の卑しさを非難するのでは なく、御自分が卑しくなることを拒否なさった。そういう時、「ひとはひと、私 は私、つまり我が道を行く」ということを実践なさった。人に「和して同ぜず」 であり、「我が道をゆく」であります。先生は、幼稚舎生が卒業する時にも、「我 が道をゆく」と書いて贈られました。」

 「「我が道をゆく」というのは、私は、ゴーイング・マイ・ウェイというアメ リカ映画の翻訳語かと思っていたのですけれども、豈図(あにはから)んや、 この言葉の始祖は福澤先生で、初めは慶應三年の『西洋事情 外編』に出て来ま す。その後も、何度も使われました。「我は我が道を行く可きのみ」とか、「我 は我が道を独歩して」と、福澤先生は、時事新報の社説に時々使っておられる のです。」

 「吉田先生の考え方は、実に福澤先生のお考えに似ておられました。」