「桃介養子縁組に関する覚書」2014/10/17 06:37

 帰り道で本井英主宰にちょっと、運動会と福沢桃介養子一件をお話したら、 「一太郎、捨次郎がいたのに、なぜ養子をとったのでしょうね」と聞かれた。  即答できなかった。 以下のようなことだったのである。

 福沢は養子縁組に際し、「大意」という「桃介養子縁組に関する覚書」を書い た。 2011年11月、福澤諭吉協会の「川越に福澤桃介生家を訪ねる」史蹟見 学会の折、岩崎家で実物を見たことがある。

一、岩崎桃介を福沢諭吉の養子として貰受候事。

一、養子は諭吉相続の養子にあらず。諭吉の次女お房へ配偶して別家する事。

一、別家の上は福澤諭吉夫婦より居家処世の義に付心付候件は忠告も可致候得 共、凡俗普通所謂舅姑の関係を以て漫に桃介おふさの家事に干渉する事なかる べし。

一、養子の相談整候上は桃介直に米国若くは英国へ留学可致事。

一、留学の費用は兼て福沢家にておふさ洋行の為め用意の資金有之に付、其金 を桃介の洋行学費に流用可致事。

一、外国留学の期限は先ず三ヶ年を約する事。

一、留学帰朝の後は直に婚姻可致なれども、桃介が職業に就くまでは福沢家よ り見苦しからざる様生活の資を給すべき事。

一、桃介夫婦の間は男尊女卑の旧弊を払ひ、貴婦人紳士の資格を維持し、相互 に礼を盡して、以て一家の美を致すのみならず、広く世間の模範たるやう可致 事。

 明治19年12月9夜、妻立会にて、諭吉記すとある。 旧中津藩士族福沢百 助次男 福沢諭吉53歳、同藩士族土岐太郎八次女 妻阿錦42歳、男、女とし て一太郎以下大四郎まで9人の子供に1から9まで番号がふってあり、おさと 3には中村貞吉妻とある。

 いたれりつくせり、さすが福沢という心配りである。