『俊寛』と喜界島の胡麻2014/10/18 06:44

 新橋演舞場の十月花形歌舞伎、14日昼の部のチケットを頂いた。 心配した 台風19号が足早に去って、幸いにも晴となり、吹き返しの風もたいしたこと はなかった。 『俊寛』近松門左衛門作「平家女護島」と、『金幣猿島郡(きん のざいさるしまだいり)』三幕「大喜利所作事 双面(ふたおもて)道成寺」四 世鶴屋南北作だ。 四代目市川猿之助が、亀治郎から猿之助になった2012年 からの襲名披露のファイナルで、三代目猿之助四十八撰の内という『金幣猿島 郡』では、「奮闘連続公演」の看板通り「宙乗り相勤め申し候」、女形あり、立 ち回りあり、面を変えての早変わりの踊りありで、大活躍を見せた。 これで また夜の部もあり一か月続く、さらに毎月毎月、歌舞伎役者はたいへんだ、ご 苦労様というのが、率直な感想だった。

 『俊寛』は、前にも観たことがあった。 鬼界ヶ島に流された俊寛僧都(市 川右近)、丹波少将成経(市川笑三郎)と夫婦の盃を交わした海女千鳥(市川笑 也)を赦免船に乗せるため、「赤っ面」のいじわるな役人瀬尾太郎兼康(市川猿 弥)を斬り、自らは島に残る。 聞き取りにくい歌舞伎の台詞だが、今回わか ったのは、瀬尾太郎が俊寛の妻を四条河原で処刑しており、都に待っていると 思っていた恋しい妻が、もうこの世にいないことを、瀬尾に告げられた俊寛が 絶望したことが、その引き金になったことだ。

 少し前にテレビで、喜界島で母親が胡麻を栽培しており、東京でその販路を 開拓している青年の話を見た。 鬼界ヶ島は、今では「鬼」から「喜」となり、 喜界島と書くのだ、と思った。 辞書、事典によると、罪人を島流しにした「鬼 界ヶ島」は、九州南方諸島の古称で、『平家物語』(長門本)では、今の薩南諸 島から沖縄まで12島。 一説に鹿児島県大隅諸島の硫黄島(鹿児島郡)を指 し、能楽「俊寛」はこれに従う。 喜界島(大島郡)説もある。

 現在、日本で消費される胡麻は、そのほとんど、99.9%が輸入品で、その中 で「喜界島白胡麻」は数少ない国産胡麻なのだそうだ。 喜界町のホームペー ジによると、隆起珊瑚の島、喜界島では古くから自家用としての胡麻の栽培が あり、江戸時代から良質の黒糖産地として有名だったことから、黒糖関連の菓 子材料などとして栽培が続けられて来た。 昭和60年代頃から健康食ブーム も手伝い、国産胡麻として評価されてから、本格栽培が行われるようになり、 島の基幹作物、サトウキビ栽培の前作としての位置が定着、100ヘクタールを 超える栽培面積を誇る。 おそらく追随する産地はなく、幻の作物、胡麻の姿 を知る人は喜界島の島民のみ、と言っても過言ではないという。 胡麻栽培に 合った気候、珊瑚礁由来のアルカリ土壌、「喜界島産白胡麻」の特徴は、本物の 胡麻の香りにあるそうだ。