ペリーを日本に派遣した大統領 ― 2021/12/09 07:00
4日、二年ぶりに福澤諭吉協会の土曜セミナーが、交詢社でリアル開催された。 元外交官で日本国際問題研究所客員研究員、大島正太郎さんの「日米関係事始め~1850年代、60年代の両国関係~」を聴く。 頭をガツンとやられる、衝撃的な新知見が二つあった。
1853年7月(嘉永6年6月)ペリーが東インド艦隊の黒船を率いて浦賀に来航、大統領の親書を幕府に提出、翌年江戸湾に再航、横浜で日米和親条約を結び、日本は開国した。 ペリーが日本を開国させた、というのが教科書でも習った常識である。 大島さんは、「日米関係の原点は、1851年に、時の大統領フィルモアが日本に開国を求める国書を将軍に渡すため遠征隊派遣を決定したことにある。」とする。 つまり、ペリーはフィルモア大統領によって派遣されたのであって、日本開国に向けた外交を主導したのはフィルモア大統領だったというのである。 私などは、フィルモアという大統領の名前も知らなかった。 これが衝撃的な新知見の第一である。 そう言われて見れば、ペリーは国書を持ってきたのであった。
フィルモアが、日本開国に向けた外交を主導した詳しい状況や、当時のアメリカの政治情勢については、いずれ書きたい。 第二の新知見は、また明日。
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