日米ともに、近代化の「生みの苦しみ」 ― 2021/12/13 07:02
大島正太郎さんの土曜セミナー、小野友五郎使節団についてだけは10日に書いたが、後半は1860年代の日米外交関係の動揺、南北戦争と戊辰戦争の話だった。 南北戦争(1861~65)はthe Civil War内戦、南部からは独立戦争、北部から見て南部諸州の反乱だった。 当初の戦争目的は、連邦統一維持のための反乱鎮圧。 米国の外交上、当時の超大国「大英帝国」による南部独立承認の阻止が最優先。 海外展開中だった複数の艦隊の本国帰還(南部諸州海上封鎖のため)。 日本を含むインド以東の東アジアの米国利益を守る艦隊(東インド艦隊)も管轄海域から撤収。
英国への配慮と艦隊の撤収により、対日外交の優先順位は大幅に低下、英国に主導権を譲った。 これが、安政五条約での開国以降、国内動乱対策をめぐり幕府等への対応で、列強の行動を主導したのが英国だった背景。
リンカーン大統領は1863年11月19日の「ゲティスバーグ演説」直後の12月8日の「年次教書」で日本に言及した。 幕府を開国を進める開明派、尊王攘夷派を守旧派と非難し、困難な情勢が平和的に克復されることを期待している。
福沢諭吉は、慶応3(1867)年に幕府の軍艦受取委員長小野友五郎の一行に加わり二度目の渡米をした。 11日に書いた南北対立の遠因、独立宣言と連邦憲法の問題は、南北戦争による南部諸州の敗北により、独立宣言の精神が連邦憲法に反映修正され、奴隷制廃止、法の下の平等が確立した。 福沢がワシントンを訪問したのはちょうど、独立宣言が再び謳歌されたその時だった。 「すべての人間は生まれながらにして平等」(米国独立宣言) 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。」 一行を歓待したスワード国務長官は、リンカーンが南北戦争での勝利、奴隷制廃止を実現させる過程での「右腕」だった。
福沢は『自伝』「王政維新」の中で、スワード(「シーワルト」)が退官後、1870年に訪日した際の日本評価に言及し、「元来英国と反りが合わずに、いわば日本贔屓の人でありながら、今度来遊、その日本の実際をみて何分にも贔屓ができぬ。こんな根性の人民では気の毒ながら自立は六かしいと断言したこともある。」としているが、ただし真偽不明。
南北戦争を経て、米国は奴隷制を廃止、自由平等に基づく「近代」国家に変身。 開国後日本では尊王攘夷運動の激化による幕藩体制の動揺、朝廷と組んだ雄藩による倒幕、戊辰戦争、維新政府の確立があり、近代化の体制的基盤ができた。 1850年代、60年代の日米関係は、双方が、近代化の「生みの苦しみ」を経験し、次の世代に引き継いだ創成期だった。
コロナすき間日誌<等々力短信 第1150号 2021(令和3).12.25.> ― 2021/12/13 07:03
なぜかわからないらしいが、新型コロナウイルスの感染者数が、日本だけ少なくなっている。 第六波が来ない内にということもあってか、11月末から12月初旬にかけて、久しぶりに出かける機会が続いた。 11月28日は、慶應志木会・枇杷の会の大磯吟行、鴫立庵二十三代庵主本井英先生の本拠地で句会をした。 快晴で暖かい大磯の、島崎藤村旧居、白雪の大きな富士がかぶさる東海道の松並木、明治記念大磯邸園を本井先生のご案内で巡る。 俳諧道場、鴫立庵室での句会は、当然畳敷き、胡坐をかけないので閉口した。 拙句<オミクロン来ぬ間の吟行冬の凪>、誰も採ってくれなかった。
30日は、二年ぶりの慶應志木高新聞OB会が、日本橋ゆかりという料理屋であった。 一年上との創刊メンバーを中心に8人が集まる。 話せば60年以上前の青春が、昨日のことのようによみがえって、すこぶる楽しい。 おばさん連(失礼)のような世間話、なぜ宮内庁は初めにもっとよく調べなかったのだろうという意見で一致する。
30代から長年保持していた背中の粉瘤(腫瘍)を、ご近所に最近出来た女医さん達の皮膚科、Mスキンケアクリニックで、先月17日に摘出手術してもらった。 12月1日、病理検査の結果を聞きに行く。 表皮の嚢胞、悪性像はない由。 カーディガンを着ていると、女医さんがボタンを留めてくれる、そんなことはしてもらったことはないと笑う。 でも、背中の傷や湿疹に薬を塗るのは、自分ではできず、家内頼りだ。
3日は、長く月一で体を整えてもらっている大田区萩中の「学べる治療院 身体のこたえ」・広島先生の予約日、鴫立庵句会で応えた腰を中心に鍼や電気の治療も受ける。
4日、家内と銀座よしたけで天ぷらのランチ。 ギャラリーせいほうで舟越保武「女の顔」特別展。 盛岡疎開中制作され、1947年新制作派協会展に出品、フランス大使館買上げになったが、その後所在不明だった作品で、今年フランスのオークションに出品され、里帰りした。 白大理石の美しい「女の顔」に吸い込まれ、心が静まる。
その後、交詢社に回り、二年ぶりにリアル開催された福澤諭吉協会の土曜セミナー。 元外交官、大島正太郎さんの「日米関係事始め~1850年代、60年代の両国関係~」を聴く。 日本を開国したのは、ペリーではなく、1851年に徳川将軍に国書を渡すため遠征隊派遣を決定したフィルモア大統領だと言う。 ガツンと一撃、蒙を啓かれた。
5日は、三田あるこう会(昭和47年創始)第539回例会「大宮盆栽村散策」、東武野田線大宮公園駅集合、『時事新報』に漫画を描いた北沢楽天のさいたま市立漫画会館、嘉永創業の「清香園」、盆栽美術館を見る。 一度行ってみたい所だった。 父親が盆栽趣味だったが、その行方は不明という事で、宮川幸雄会長と一致した。
(自祝・自信・自笑!「煤掃」の本日、お蔭様で「等々力短信」1150号を発信することができました。長く読んで下さっている皆様に感謝です。)
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