大阪から岡山、岡山から再び東京へ ― 2024/11/20 07:12
長坂誠は、行き交う人はもちろん、車まで大阪弁で走ってるような大阪で、〈従業員募集! 月収三十万以上(日払い可) ギタリスト大歓迎!〉の貼り紙を見て、〈情熱の風俗 エロ・スペイン〉に勤めることになり、カルロス東京という名前をつけられた。 ギターが弾けて、無遅刻、無欠勤、店長のアントニオ山田に褒められて、酒も飲まず、一年で150万超を貯金、梅田の大きな楽器店で120万もする本格的なフラメンコギターを買った。 2002年の6月5日、店のパエリヤという源氏名の娘がシャブをやっているのを見つけ、注射器とパケを取り上げて、車道に放り捨てようとしたところに、自転車の警察官が通りかかった。 2日後、長坂誠は44歳の誕生日を天王寺署の留置所の中で迎えた。
岡山の実家に帰り、製パン工場で真面目に働き続けて、15年が経とうとしていた。 60歳を前にして、長坂誠は焦っていた。 このままじゃ、ただ朽ち果てていくだけだ。 何かを、どうにかしなければ。 しかし、一体何をどうする? どうしようもない。 ここにいたんじゃ、手も足も出ない。 とにかく東京に出て、もう一度勝負したい。 この退屈な、何事もない毎日を何とかして打ち破りたい。
そんな長坂誠だが、<おーい。生きてるかー?>と、二ヶ月おきくらいにラインのメールをくれる高校時代からの友人がいる。 城正邦彦と米原研一、城正は今や弁護士、米原はデザイン会社の社長だ。 城正は、大学を出て長らく出版社に勤めていたが、40歳の時に突然思い立ち、勉強し始めた。 そして司法試験に一発で合格した。 東京に出て、もう一度勝負したいと、米原と城正に相談すると、二人とも「その気持はよく分かる」と、二人で上京費用の百万円をぽんと出してくれた。 住処のさくら荘も勤め先のオリエント食品も、見つけてきてくれたのは城正だった。
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