浄瑠璃姫と義経2006/01/06 07:41

 “ウィキペディアWikipedia”とは、別の話。 義経には、いろいろ伝説が ある。 昨秋、福澤諭吉協会の旅行で訪れた豊橋市二川宿本陣資料館のことは、 10月27日の日記に「二川宿本陣は馬場家だった」に書いた。 その時、資料 館では「三河国名所めぐり展」を開催中だった。 その展示品のなかに、浄瑠 璃姫画像と源義経画像(共に浄瑠璃寺蔵)、浄瑠璃姫物語絵本(西尾市岩瀬文庫蔵) があった。

 私は浄瑠璃姫を知らなかったが、義経伝説中の人物で、三河国矢矧宿(やはぎ しゅく)の長者の娘(薬師瑠璃光如来の申し子)、義経が最初に奥州に下る途中、 情交を結んだとされているのだそうだ。 『十二段草子』に脚色されて有名で、 語り物を「浄瑠璃」と呼ぶ名称の起源がここにある、といわれれれば、世の中、 知らないことだらけだと驚く。 念のため『広辞苑』で【浄瑠璃】を引けば、 「平曲・謡曲などを源流にした、語り物の一。また、それから発達・派生した 音楽・演劇をもいう。室町末期、主として琵琶や扇拍子を用いて語られた「浄 瑠璃姫物語(十二段草子)」が好評で、浄瑠璃がこの種の物語音楽の名となり、 のち三味線および操り人形芝居と結合し庶民的演劇として発展。」とあった。

 展示品の解説によれば、岡崎には、浄瑠璃姫の供養塔やゆかりの寺院、入水 したという伝説のある浄瑠璃淵など、浄瑠璃姫に関する古跡が数多く伝えられ ている。 浄瑠璃姫画像と源義経画像は、光明院、通称浄瑠璃寺に伝わる。 こ の寺は、姫の死後、父の兼高が出家して建立した浄瑠璃山安西寺から寺号を改 めた。 寺伝によれば、義経像は慶長17(1612)年に大道士が岡崎城主に納め、 さらに浄瑠璃寺に下付されたもので、浄瑠璃姫像は慶安3(1650)年に表具を行 い、義経像と共に納め置いたものという。

 浄瑠璃姫物語絵本は、室町時代末期の奈良絵本(室町末期から江戸時代前期に かけて作られ、御伽草子などの文学に極彩色の挿絵を加え、金泥などで美しく 装丁した一種の絵本。横本が多いが、これは竪型の大型本)。 浄瑠璃姫の恋愛 譚は、巻物や奈良絵本など多くの写本がつくられたのだそうだ。

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