漱石と福沢、ある関係 ― 2007/02/18 09:39
その後、というのは「等々力短信」に「漱石と諭吉」を書いた後だが、明治 日本の水道の先生W・K・バルトンに関連してスコットランドのことを調べて いる内に、漱石と福沢を結びつける、一つの事実を知った。 ずいぶん古い昭 和56(1981)年3月20日発行の『福沢手帖』28号に、北政巳さん(当時の 肩書きは創価大学経済学部助教授)という方が書いた「グラスゴウ大学と福沢 三八―日蘇交流の一視点―」に、その話はあった。
福沢諭吉の三男福沢三八(明治14(1881)-昭和37(1962))は、慶應義 塾高等科を経て大学文学科に学んでいた明治33(1900)年、林董が英国公使 として赴任するに際し、中退して同行、グラスゴー大学に留学した。 留学中 の翌年、父諭吉を亡くした。 明治37(1904)年卒業(バチェラー・オブ・ サイエンス)、ドイツのライプチヒ大学で主として数学を研究、明治39(1906) 年帰国。 時事新報社学芸部員として理科方面の翻訳紹介に努めた後、慶應義 塾予科や藤原工業大学(のち慶大工学部)で数学を教えた数学者である。
その福沢三八がグラスゴー大学への入学試験で、第二外国語の独・仏語を拒 否し、その代替科目に日本語を希望した。 教授会はグラスゴー・スコットラ ンド西部短大理事のダイアー(明治初期に工部大学校をつくりあげたヘンリ ー・ダイアー)の意見を求めた上、日本語を入試選択科目に入れたのである (1901年2月7日←諭吉の死後4日目)。 大学はロンドン在住の日本総領事 荒川箕次に試験官を依頼したが、荒川は断わり、代わりにロンドン留学中の東 大教授夏目漱石を推薦した。 ダイアーが、夏目は著名なラフカディオ・ハー ン講座教授であることを付言して推挙、大学も受理した(3月28日)。 その 結果、漱石はグラスゴー大学から「教授」として迎えられ、同年4月と10月、 日本語を入試に認めた土木工学科の日本人受験生に、「日本語」の試験を実施し た。 その試験に合格した1900年度入学生には、福沢三八のほか、鹿島タツ ゾオ、富山アーサ、浦野喜三郎が、1901年度入学生には、岩崎秀弥(弥太郎の 次男)、岩根友愛、佐久間堤がいた、というのである。
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