吉田松陰、俳句のすすめ ― 2009/11/25 06:51
もう一冊、奈良本辰也 真田幸隆 訳編『吉田松陰 この劇的なる生涯』(角川 文庫・昭和51(1976)年)。 幕末維新の起爆力となり、激動の時代を真摯に して激烈に生きた吉田松陰の、内奥を理解するためには、なによりもまず、松 陰自身に自らを語らしめることだと、松陰の日記・書簡・手稿を現代語訳した もの。 そうして松陰の劇的な生涯を自伝風にまとめ、その思想と人間像を浮 き彫りにした、まさに奈良本史学の結晶、と表紙カバー裏にある。
パラパラとやっていたら、妹の千代に宛て俳句をすすめている手紙(安政2 年11月6日付)があり、なんと松陰自身の「小春日」の句があった。 「手紙の中に、小春とあったが、さだめし、俳句でもよむ気持になったので あろうか。たいへん、よいことだと思う。それでまた、わたしも思うままに一 句を、
ささ鳴の声聞かまほし小春かな
帰り花
小春日に咲くを待つなり帰り花
と、作ってみた。俳句になっているかどうかは、わたしにもわかりません。お 笑い下され。ささ鳴というのは、鶯が冬になくこと、帰り花は、桜・桃などの 花が冬に咲くことをいいます。」
奈良本辰也さんの岩波新書『吉田松陰』巻末の年表を見ると、安政2(1855) 年11月、吉田松陰は萩の野山獄の獄中にいた。
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