東京湾大華火祭を見物 ― 2010/08/18 07:13
14日の土曜日、福澤諭吉協会のMさんにお誘いいただいて、東京湾大華火祭 を見ることが出来た。 「華火」と書くこの大会、もう23回になるそうだ。 Mさんは中央区(実行委員会とともに主催者になっている)の招待状(同伴一 名可)を持っていて、レインボー・ブリッジを正面に見る、晴海の船客ターミ ナル突端の招待席、絶好の場所で見物することになった。 そういえば矢田美 英中央区長は同期で、友達の友達、以前仲間内の情報交流会で話を聴いたこと があったから、まんざら縁がない訳でもない。
出掛けに江戸の「花火」事情について、今は亡き杉浦日向子さんの『お江戸 でござる』(新潮文庫)から仕込んで行った。 鉄砲伝来と共に伝わった花火だ が、盛んになり始めたのは江戸から。 両国の花火の発端は享保18(1733) 年5月28日、隅田川の川開きにあわせ、前年の餓死者約百万人の大凶作、江 戸市内のコロリ大流行の死者供養のため八代将軍・吉宗が開催した水神祭だそ うだ。 この花火が名物になり、毎年、川開きから八月いっぱいくらいまで、 雨天以外は連日花火が上げられた。
江戸の「花火」は地味で、色は淡いオレンジ一色、シュルシュルと放物線を 描いて落ちていく「流星」という花火が主流だった。 花火が円形に開くのは 明治7(1874)年以降、色とりどりになるのは明治20(1887)年以降で、玉 も小さく、幕末になってやっと四寸玉くらいのものができ、尺玉などまだなか った。 上がるのも、一晩に二十発ぐらい、間隔がゆっくりで、間がとても空 く。 間が空きすぎて、お酌のやりとりでは間が持たず、男女の仲が結ばれて しまい、「あがる流星星下り玉屋がとりもつ縁かいな」という歌もあるそうだ。
東京湾大華火祭、海だから尺五寸玉(直径45センチ)も上げることが出来、 総数12,000発、色彩と音響の豪華一大ページェントである。 全国の“名人” 花火師による芸術玉(尺玉)20発の競演を名付けて「大江戸、銘華競演」、杉 浦日向子さんには笑われそうだ。 江戸の人たちに見せたら、どれだけ驚いた ことか。 私にとっても、今まで見た中で最高の花火見物となった。
頭上から降り注ぐやに大花火
パッと開き遅れてドンと花火かな
あらぬ方へ走る花火も面白し
そんな気も少しは見立て花火かな
面白うて花火帰りの難粛々
最近のコメント