イトウの手記、発端2010/08/16 06:55

 『イトウの恋』、横浜の私立中学の先生で、郷土部の顧問、久保耕平が曽祖父 の古ぼけたトランクの中から、イトウ、伊藤亀吉の手記を発見する。 曽祖父 は明治初期にシカゴ大学で建築を学んだ人物で、亀吉の香典を横浜松影町の伊 藤家に送った記録があったから、両者には何らかの交流があったらしい。 イ トウの手記に興味を持った久保先生は、石川町にある伊藤亀吉の菩提寺で、6,7 年前、孫娘がお参りに来て、そのまた娘が漫画家(劇画の原作者)の田中シゲ ルだと話していたことを聞き込み、シゲルに連絡を取る。 郷土部員の一年生 赤堀は、田中シゲルの大ファンだった。

 シゲルのために現代語に訳したイトウの手記が、物語にはさまる。 イトウ の父は相州の下級武士で、イトウの兄と共に攘夷の士たらんとして元治元年の 戦いに赴き戦死、イトウは母と横浜の商人の家に嫁いでいた伯母を頼って、横 浜で育った。 港で遊ぶうちに、チャブ屋言葉の英語を覚え、偶然グランドホ テルで英国将校の言う事を伝えられたことから、その将校の家に住み込みのボ ーイとして雇われ、通訳・案内業の道を踏み出す。

 I・Bとの長旅が始まる、「あんなに誰からも愛された異人を、あの前もそれ 以後も見たことがない」。 その美しさは、「I・Bだけが醸し出す曰くいい難い 魅力に拠っていて、その魅力とは何かと問うならば」…「彼女がとてつもない 変わり者だ、ということ」

 「I・Bと過ごした時間の豊かさは、私の胸深くに刻み込まれている。その声、 言葉、大きく手や肩を動かし、顔の造作を歪めて、私に伝えようとするものの 数々を、乾いた砂粒が雨水を吸うように身に刻みつけていった。濃く、鮮烈な 日々であった。その時間の中では私が何者であるかと自分に問うことをしなか った。そのようなことをしなくても、私は私であり、I・Bと意思を通わせるこ とができたのである」

 I・Bと北海道に渡ったイトウは、I・Bが彫りが深く姿の美しいアイヌ語通 訳に示す親愛の情にうろたえ、自分が倍も年上のI・Bに夢中になっているこ とをあらためて意識した。