篠塚英子人事官の西川先生2010/08/02 07:05

 私は篠塚英子さんという方も、人事院人事官というポストも、知らなかった。  学年は一つ下、1965年に武蔵大学経済学部を出て、民間の社団法人日本経済研 究センターに入り、企業モデルを研究している時、西川先生に出会った。 西 川先生は、節目節目で、いいコメントを下さる方で、常勤、非常勤の区別なく、 公平でニュートラルに、丁寧に誠意をもって接して下さった。 先生を慕う計 量グループの会合は、今でも続いている。 その後、先生に導かれて労働経済 学分野へ、オイルショック以降の労働問題を研究、『日本の女子労働』を著した。 

先生に外に出ることを勧められ、経済企画庁その他官庁の機関や審議会、学 者のネットワークの現場を経験する。 1992年、お茶の水大学に助教授として 招聘されたが、西川先生は私学から国立大学へ入るのは、めったにない人事と 祝ってくれた(中村、西川両先生のおかげ)。 お茶の水では、家政学部で女性 問題、フェニミズム、ジェンダー学を研究したが、西川先生に教えられた福沢 の日本婦人論その他関連の著作が役立った。 1998年、大学に居ながら、日銀 の政策委員会審議委員になる。 西川先生は、これはもっとすごい、女性で、 東大出でもない人が、と。 2000年には、慶應義塾大学から商学博士を西川先 生の指導で授与された。 昨2009年4月、人事院人事官になった。 天皇の 認証式がある。 福沢の『帝室論』について西川先生にメールでお尋ねしたら、 全集の五巻にある、六巻には『尊王論』があると、教えて下さった。 質問す ると、必ず適切な答が返ってきた。

 言葉を大切にする方で、気っ風のいいのは、福沢先生の気持が、その文体に うつっている。 福沢の亡くなった日、一人の市井の婦人が、手向けの花を持 って訪れ、ひとり静かに弔ったという逸話が残っている。 西川先生を慕う計 量グループの皆さんも同じ気持だ。 西川先生の最後のご様子をお聞きしたく て、オフィス西川に秘書の石部祥子さんを訪ねた。 先生は最後の最後まで、遣り残していったご研究の作業をなさったと聞いて、心穏やかになった。 石 部さんには、ぜひその話をしていただきたい。