後藤象二郎の弁護人2010/08/26 06:39

 昨日の<等々力短信>「後藤象二郎と福沢」に書き込みたかったのだが、ス ペースがなくて書けなかったことがある。 私が福沢諭吉に入門したのは、毎 度書いているように、高校生だった1958(昭和33)年、慶應義塾創立百年の 年に出版された甲南大学の伊藤正雄教授の『福沢諭吉入門―その言葉と解説』 (毎日新聞社)を読んで、福沢の文章と考え方の面白さに魅せられたからだっ た。

 その伊藤正雄さんの父上(養父)徳三さんが、代言人(弁護士)で長崎で開 業しており、明治12,3年頃、後藤象二郎が高島炭坑経営にからむ債務で、英国 商人に訴えられた際に、その弁護に当り、当時後藤から来た手紙が伊藤家に残 っている。 福沢は後藤の苦境を斡旋して、三菱に高島炭坑経営を肩代わりさ せたから、その問題をめぐって、伊藤正雄さんの父上と福沢の間に一脈の因縁 があったことになる、というのである。

 このことに気がついたのは、昨年の11月28日。 山田博雄さん(中央大学 法学部兼任講師)が講師で、福澤諭吉協会の「伊藤正雄編『明治人の見た福沢 諭吉』を読む」という読書会があった。 三田へ行く電車の中で、伊藤正雄さ んの『福沢諭吉―警世の文学精神』(春秋社・1979(昭和54)年)をぱらぱら やっていて見つけたのであった。

 杉山伸也さんの岩波新書『明治維新とイギリス商人―トマス・グラバーの生 涯―』によると、高島炭鉱は明治7(1874)年12月後藤象二郎に55万円で払 い下げられたが、後藤は即納金20万円を調達できず、5年間の石炭の販売と経 営への参加を条件にジャーディン・マセソン商会からこの資金を借り入れた。  しかし、後藤はこの契約を履行せず、債務額も増加したために、明治11(1878) 年にジャーディン・マセソン商会は後藤にたいして訴訟をおこした。 しかし、 この提訴は東京高等裁判所において、日本坑法に違反するものとしてしりぞけ られてしまった、のだそうである。