竜馬暗殺、薩摩と土佐が関与という西尾仮説2010/08/23 07:08

 平尾道雄著『龍馬のすべて』に、新聞の切り抜きがはさんであった。 1999 (平成11)年2月9日付『日本経済新聞』文化欄、西尾秋風(しゅうふう)さ んの書いた「竜馬暗殺 薩摩が真犯人? 定説「幕府の見廻組」に疑問、40年 かけ仮説」という一文である。 立命館史学会員という西尾さんがこの事件に 興味を持ったのは、1955年、暗殺に薩摩藩が関与しているという映画『六人の 暗殺者』を見たのが始まりで、映画が根拠とした蜷川新著『維新正観』も読ん だ。 当時30代の社会人で、立命館大学の日本史学科二部に通っていた西尾 さんは、卒論のテーマを竜馬暗殺にしたという。 定年退職した1979年、京 都市内の黒谷墓地で竜馬暗殺の現場となった近江屋井口家代々の墓を発見した。  そして竜馬と親交のあった近江屋主人、近江屋新助から数えて四代目の井口新 助氏に会う。

 井口家には代々受け継いできた史料があり、それを読む機会を与えられた。  竜馬が妻お竜に宛てた直筆の手紙は、『坂本竜馬全集』改訂版に加えられた。 事 件の一か月後、海援隊士、佐々木多聞が、江戸の旗本松平主税の家臣岡又蔵宛 に書き、何らかの事情で発送されなかった密書もあった。 海援隊が真犯人の 姓名まで突き止め、薩摩が事後処理に四苦八苦しているらしい様子と読める。  定説通り見廻組に殺害されたのなら、竜馬の部下が幕府側に密書を送ったりは しなかったはずだ、と西尾さんは考える。 竜馬暗殺に居合わせた近江屋新助 が明治33年頃に回想し、長男新之助が筆記した「新助、新之助遺稿」も出て 来た。 「竜馬にはノドに二カ所の刺し傷があった」とあり、トドメをさされ たことを意味する。 見廻組の仕業にしては、正当な警察行為の範囲を逸脱し ているのではないか、と西尾さんは言う。

 西尾秋風さんが到達した仮説は、定説の幕府側京都見廻組ではなく、薩摩藩 と土佐藩が暗殺に関与していたというものになった。 西尾さんは研究の成果 を1987年の『坂本竜馬謀殺秘聞』以来、五冊の自費出版で発表、1999(平成 11)年、40年の総決算として『竜馬殉難西尾史観』を完成させたのだそうだ。