坂本竜馬は「後藤象二郎の使い走り」か?2010/08/27 06:59

「後藤象二郎と福沢」<等々力短信 第1014号 2010.8.25.>を発信したら、 ある方からお尋ねがあった。 その方の意見は「今や坂本竜馬ブームの感があ るが、これは司馬遼太郎の影響によるもの。真実は、土佐藩の重鎮後藤象二郎 こそが薩長連合その他の改革の提案者である。竜馬はこの一連の動きの中での 使い走りであった。」という。 それについて私の考えを求めて来たのだ。

 私は後藤象二郎について、特に調べているわけではないので、まず松本健一 さんの『日本の近代1 開国・維新 1853~1871』(中央公論社)の関係部分 を再読してみた。  結論を言えば、坂本竜馬は単なる「後藤象二郎の使い走り」ではなく、脱藩 郷士ながら、早くから勝海舟などの影響を受けて、列強に対抗するためには、 この国を洗濯して独立したネーション・日本(ニッポン)をつくらなければな らないというビジョンを抱き、自由な立場で、その線に沿って薩長同盟をまと め上げた(これが時代を動かすのに重要)、時代が必要とした貴重な人物だった、 ということができると思われる。

 薩摩の西郷隆盛と大久保利通とは、討幕のために薩長同盟をすでに考えてい た。 慶應元(1865)年5月、鹿児島から熊本に回った坂本竜馬は、横井小楠 に会って、天下の衰頽を救うためには薩摩の大久保と事を共にすべし、と述べ ている。 竜馬に加え、土佐藩士で七卿落ちに従っていた土方久元(維新後は 農商務相)や土方と京都で活動していた中岡慎太郎は、薩長同盟の実現に積極 的にのりだしていく。 提携の手土産として、薩摩藩に長州藩の艦船や鉄砲の 購入をさせるという提案は、竜馬ではなく、木戸孝允(桂小五郎)だったとい う。 木戸と竜馬は、江戸の三剣客の一人、斉藤弥九郎の道場で顔見知りだっ た。

薩長同盟が成立するかどうかの瀬戸際、慶應2(1866)年1月の京都、薩摩 と長州は会談するものの空しく十余日を費やしていた。 竜馬が到着して、両 者の意地の張り合いを見抜き、本心を述べ合い「天下の為」に協議せよと説得 して、ようやく西郷と木戸により、竜馬の同席のもとに、討幕のための薩長同 盟が成立した。 竜馬が果した決定的に重要な役割だ。 木戸は二日後、その 六カ条の約束を書面にして、竜馬に裏書を求めている。  この一連の動きに、後藤象二郎の名は出て来ない。 後藤は、薩長同盟については、働いていないのではないだろうか。