生志「寝床」のマクラ2012/12/09 07:13

 立川生志、師匠が地獄に落ちて一年、生きていると、うるさい、恐い、面倒 だなと思ったのだけれど、いざいなくなると……、爽やかな毎日で。 真打披 露を帝国ホテルでさせてもらったのだけれど、私の後援会長が大宰府天満宮の 宮司さんなので、師匠は驚いて、どうやってだましたんだ、と。 大宰府天満 宮の宮司さんは、伊勢ヶ浜部屋の後援会長もなさっているので、十一月場所の 前に横綱日馬富士の激励会をやるから「生志さんもおいで」と言われて、出た。  宮司さんが、ご祝儀を渡しているのを見て、くやしいなと思う。 何かしゃべ れと言われて、謎かけをやった。 本当は大嫌いで、酒場なんかで謎かけをや れと言われると、殺してやろうかと思うんだけれど、宮司さんだし激励会だか ら、やった。 新横綱とかけて、風の強い日の木造住宅の漏電ととく、「ゼンシ ョウするでしょう」。 今場所、六敗しましたが…。 宮司さんが握手してくれ て、仕事やったという感じになったのだけれど、何もない、手ぶらかよ。 や ることやったんで、取り返していこうと、ちゃんこを沢山よそって、グーッと 食っていたら、知らないおじさんが、ポンポンと肩を叩いて、「今場所、がんば れよ!」

 師匠元旭富士の伊勢ヶ浜親方と日馬富士は、実に仲の良い師弟だ。 うちの 師弟は……、ちょっと敬愛している。 師匠が52歳の時に入門、五、六席教 えてくれた。 かばん持ち、選挙の応援に行く、田舎の駅前、朝、演説してい ると地元のツッパリ、ヤンキーが二人通って、「うるせえよ」と、足元にペッと つばをした。 大人だなあと思っていると、百メートルぐらい行ったのを確か めて、猛然と啖呵を切った。 喧嘩のやり方を教わった。 歌舞音曲のマスタ ーを課す真打昇進試験、先輩はそれでいいのかという程度で合格したのに、私 のタイミングできちんとしなければならなくなった。 談志はできない、俺は 知性が勝っているからいいんだ、お前は踊れ、と。 苦手は苦手なので、大変 だった、一生懸命を認めてくれたのだろう。

 音を合わせるって、何かというところから始めた。 小唄の先生は「上手ね」 とは言わなかった。 「面白い声ね」と言った。 それでもお稽古すると、人 前でやってみたくなる。