酒井忠康世田谷美術館長、土方定一との出会い2013/06/19 06:32

 15日、近所の宮本三郎美術館に、世田谷美術館館長・酒井忠康さんの講演を 聴きに行った。 「鞄に入れた本の話―私の美術散策」という演題は、2010 年みすず書房から刊行した自著の題名だ。 酒井さんについては、神奈川県立 近代美術館の館長を務め、世田谷美術館へ来たことや、NHK日曜美術館でお 顔は知っていたが、この会の案内で、慶應義塾大学の同期卒業だということを、 初めて知った。 文学部美学美術史専攻といえば、知人も何人かいる。

 幕末明治の近代美術史研究、『海の鎖―描かれた維新』(小沢書店/後、青幻 舎)『開化の浮世絵師清親』(せりか書房/平凡社)などで注目され(1979年・ 第1回サントリー学芸賞)、その後、現代美術の評論でも活躍、日本近代美術 に関する『野の扉』『影の町』『遠い太鼓』(以上、小沢書店)、世界の現代彫刻 を論じた『彫刻家への手紙』『彫刻家との対話』(以上、未知谷)、最新刊『覚書 幕末・明治の美術』(岩波書店)など、多数の著書がある。

 手に入りやすかった中公新書『早世の天才画家』を手にしてみた。 萬鉄五 郎から松本竣介まで12人の画家を扱っている。 まず昨年秋冬の世田谷美術 館の展覧会も見て、大好きな松本竣介の章から読んでみて、驚いた。 美術評 論というもの、文章が難しくて、なかなか付いて行けないのだ。 とても同時 期に同じ学校で学んだとは思えない。 「平明達意」の文章を心がけた塾祖を 持つ学校なのだが…。 心配して講演を聴きに行ったら、自ら「散乱する」と 始めた話は、面白かった。

 話は大きく二つに分けて、<美術史は人間のかかわり>と<触覚>。 まず、 お師匠さん、土方定一(ひじかた・ていいち1904(明治37)年~1980(昭和 55)年)との出会い。 東京オリンピックの年、卒業の頃、就職活動しなかっ た。 若さで、よくわからないことを考えていた。 勤めるのはいやだった。  ある本屋に決まっていたが、断って、北海道に帰っていた。 主任教授から、 鎌倉の神奈川県立近代美術館に欠員が出来たと、連絡が来る。 勘弁して下さ いよと答えると、一単位足りない、形式的にも試験を受けてくれ、鎌倉へ行っ てくれと。 その欠員がイタリアへ行く先輩で、教授の所で会うと、GIカット と赤シャツを見て心配し、父親の錦糸町の外科医の所へ連れて行って、ドアを 開けるところから面接の練習をしてくれた。 学生服は? ない、借りて行く。

 おかげさまで、鎌倉で土方定一館長の面接。 午後2時頃起きる夜型の人、 夕方からの面接に行くと、グラスを用意し、机の袖からサントリーのダルマを 出した。 まったく下戸だったが、緊張で酔っていなかった。 明日から来い と、館員を呼んで、紹介してくれた。 美術史は金持のぼんぼんがやるもので、 自分のような貧乏人のやるものでないと、知った。 それから、働いた。

 数か月かぶっていた帽子を、土方は「帽子は高いものをかぶらなきゃだめだ よ」と言った。 風体は少し考えてよ、ということだったのだろう。 ヘーゲ ル病みの、左翼系の人だったが、こちらは頭悪いし、勉強して来なかったから、 しごき甲斐がある。 何から何まで、教わった。 砂に水が浸み込むように…。  土方の縁で結ばれた人々(たとえば草野心平さん)とお会い出来たことは、た いへんな収穫だった。 何しろ一年中、鞄を持って、付いて歩いていたから。