「五日市憲法草案」、どんなものか2014/07/16 06:30

 204条にわたる「五日市憲法草案」とは、どんなものだったか、その概要を みておく。 「国政に参与する権利」「日本全国同一の法典を準用し同一の保護 をうける権利」など、その32項にわたる国民の権利は、現在の日本国憲法と 比較対照しても、男女同権、勤労の権利と義務、勤労者の団結権等を除けば、 一条ごとの対照表ができるほど遜色がないという。

 「国会ハ政府ニ於テ若シ憲法、或ハ宗教、或ハ道徳、或ハ信教自由、或ハ各 人ノ自由、或ハ法律上ニ於テ諸民平等ノ遵奉、財産所有権、或ハ原則ニ違背シ、 或ハ邦国ノ防禦ヲ傷害スルカ如キコトアレハ、勉メテ之レカ反対説ヲ主張シ之 カ根元ニ遡リ、其公布ヲ拒絶スルノ権ヲ有ス」(立法権)という根本規定がある。  政府が、法律上において憲法に定められた原則に違背し、国民の自由権利をお かすようなことがあれば、国会はつとめてこれに反対し、その根元にまで遡っ て、その違憲立法公布を拒絶することができるというのだ。 国会は国民意志 の代表機関であるから、ここにこの草案の主権在民思想が具現されている。

 民撰議院は、直接投籤法で単撰される議員で構成し、選挙区は20万人につ き1名の定員を定めている。 任期は3年とし、2ヶ年毎に半数改選を行う。  明治15年人口3,635万人といえば、総数181人となる。 元老議院は、定員 40名の元老院議官で、終身任期。

 行政権については、基本的にはイギリス流の議院内閣制をとっている。 司 法権には35条をあてて、他の私擬憲法草案のなかでも最も多い。 「司法権 ハ不羈独立ニシテ」との規定を司法権の章の最初にかかげ、三権分立主義をた てまえとしている。

 「五日市憲法草案」は、明治10年代の最大公約数的憲法構想――イギリス 流の議院内閣制、アメリカ流の三権分立主義の政治機構のもとで、“君民共治” の実をあげようという意味の「立憲制」を標榜している。 しかし、その立法 の精神は、単に欧米からの模倣ではなく、その「近代」西欧、ルソーやミル、 ベンサム、スペンサーなどの立憲主義と同一の原理として、二千年も前にさか のぼる古代中国、「前近代」東洋の伝統的原理――人民本位――に依拠している という特徴がある、と『民衆憲法の創造―埋もれた多摩の人脈―』の共著者(色 川大吉・江井秀雄・新井勝紘)は言う。 古代中国の戦国時代、それまでの伝 統的秩序は破られて、政権が一、二の権力者だけの意志によっては自由にでき ず、広範な民衆の支持が必要になった。 そうした時点で生まれてきたのが諸 子百家の思想―法思想の先駆者ともいえる公孫鞅(こうそんおう)や慎子(法 家)・文子(道家)―で、法に最大の権限を与える、法律を基本とする政治形態 であり、現実主義的な政治思想だった。

 千葉卓三郎は、「風土」「時世」「道理」にかない、「民情」を充分考慮する“法 の精神”を取捨選択し、彼が歩んできた明治維新前後、数十年間の日本の人々 の反封建の戦いの体験から、独自の法思想を構築し、それを憲法起草に昇華さ せた。 その一条一条の法文上の問題は、学芸講談会や学術討論会の学習結社 を通じて、大豪農・豪商・戸長・教員・医者・神官・僧侶・零細農民・林業労 働者など五日市の人々の土着的、生活的基盤にまでおろされ、そこで徹底的に 論議されて出て来た解答でもある。 この草案は試行錯誤の経過を示し、民衆 の思想形成過程をさぐるうえにも、貴重な問題を提示している。 そこに見ら れるさまざまな先駆的示唆は、未発のまま、戦後の日本国憲法への源流となっ て歴史の地下を伏流していた、と色川大吉さんたちは書いた。

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