橋本五郎さんの「戦後日本と小泉信三先生」2016/12/23 06:27

 渋谷句会の前に聴いた、小泉信三記念講座の橋本五郎さん(読売新聞特別編 集委員)の講演「戦後日本と小泉信三先生――没後五十年に際して」である。  橋本五郎さんは1966(昭和41)年に慶應義塾大学法学部に入学したが、その 年5月に小泉信三さんが亡くなった。 あれから50年という感慨もあるが、 小泉信三(以下、敬称略)を語るには非常に大事なタイミングだと言う。

 戦後の日本で小泉信三が果たした役割について話したい。 なぜ、戦後にし たか。 戦後の20年で、現在の日本の骨格がつくられた。 その時期に、学 界、論壇で果たした小泉信三の役割の意味と、その大きさについて考えたいと 思う。 戦後日本の出発にあたって、マルクス主義・共産主義の影響は、今で は想像できないほど甚大なものがあった。 それは哲学・歴史学・社会科学・ 自然科学・文学・芸術にまで及ぶ広範なものだった。

 その中で、小泉信三はよき意味での保守体制の象徴的存在だった。 今から 振り返ると、戦後日本の再建と成長は、小泉はじめ、哲学者和辻哲郎、歴史学 者津田左右吉、法哲学者田中耕太郎ら、戦後世代の知識人がもはや役割を終わ った過去のもの「旧世代」と位置付けた人々が抱いた精神が、支柱となって行 われたと見ることができるのではないか。

 橋本さんは、小泉信三が果たした役割を、三つの視角から考える。 (1) 共産主義への批判、(2)平和論―全面講和論・中立論の矛盾、(3)東宮の御教 育参与。

 (1)共産主義への批判  共産主義批判三部作、『共産主義批判の常識』(昭和24年)、『私とマルクシ ズム―共産主義批判』(昭和25年)、『共産主義と人間尊重』(昭和26年)など によって共産主義、マルクス主義への批判を精力的に展開した。 その批判に あたっては、厳正・公正な学問的態度を決して崩すことはなかった。

 当時の日本は占領の真只中、片山、芦田の二代にたる中道左派連立政権が崩 壊し、第二次吉田内閣による総選挙が行われ、共産党が4人から35人に躍進 した。 「日本共産党の著しい進出…此成功は諸般の外面的事情の外、彼等が 理論と組織とそうして或る気概とを持つことに因ることは、何人も認めなけれ ばならぬ。私は本書で彼らの奉ずる根本理論の容認し難き所以を説いたもので ある……。」

 共産主義反対の理由。 「第一に、私は生産手段の私有を廃止することを、 一切の社会悪に対する万能薬と認めない。また生産手段の公有は歴史的必然の 約束だという、形而上学的断定を信じない。」「第二に、生産手段の公有が仮り に望ましいことであるにしても、その目標に到達するため、階級的憎悪と争闘 の扇動が人類にもたらす恵福は遠くその禍殃(かおう=わざわい)に及ばない と、私は思う。」(『共産主義と人間尊重』) (つづく)

コメント

_ 轟亭(橋本五郎さん「小泉信三」講演) ― 2017/04/12 09:15

この橋本五郎さんの「戦後日本と小泉信三先生――没後五十年に際して」の講演録が、『三田評論』2017年4月号に掲載されましたので、ご参照下さい。

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