「博士問題とマードック先生と余」後半2016/12/13 06:36

 マードック先生からの手紙には、眞率(まじめ)に私の学位辞退を喜ぶ旨が 書いてあった。 今回の事は、君が「モラル・バックボーン」を有している証 拠になるから目出度いという。 翻訳すると「徳義的脊髄」という新奇でかつ 趣きのある字面が出来る。 先生はまた、グラッドストーンやカーライルやス ペンサーの名をあげ、君のお仲間も大分あるという。 これには恐縮した。 私 が博士号を辞退する時、これらの先例は、まったく脳裏に閃かなかったからだ。  もっとも先生がこれら知名の人の名を挙げたのは、辞退の必ずしも非礼ではな いという実証を私に示そうと紹介された迄で、これら知名の人を私に比較する ためでなかったのは無論である。

 先生は言う、我らが流俗(一般の俗人)以上に傑出しようと力(つと)める のは、人として当然である。 けれども、我らは社会に対する栄誉の貢献によ ってのみ、傑出すべきである。 傑出を要求する最上権利は、すべての時にお いて、我らの人物如何と我らの仕事如何によってのみ、決せられるべきである。

 先生がこの主義を実行していることは、先生の日常生活を別にしても、その 著作『日本歴史』において明らかにうかがうことが出来る。 自白すれば、私 はまだこの標準的述作を読んでいない。 それにもかかわらず、先生が10年 の歳月と、10年の精力と、10年の忍耐を傾け尽して、ことごとくこれをこの 一書の中に注ぎ込んだ過去の苦心談は、先生の愛弟子山縣五十雄君から精しく 聞いて知っている。 先生は稿を起こすにあたって、ほとんどあらゆる国語で 出版された日本に関するすべての記事を読破したということである。 山縣君 は第一に先生の語学力に驚いていた。 オランダ語でも何でも、自由に読むこ とが出来ると言って、呆れていた。 述作の際、非常に頭を使う結果として、 しまいには天を仰いで昏倒することが何度もあって、奥さんが大変心配したと いう。(明治32(1899)年(43歳)岡田竹子と結婚) そればかりではない、 先生は単にこの著作を完成するために、日本語と漢字の研究まで積まれたので ある。 これらの準備からなる先生の『日本歴史』は、ことごとく材料を第一 の源から拾い集めて大成したもので、儲からない保証があると同時に、学者の 良心に対していささかも疚しいところのない徳義的な著作であるのはいうまで もない。

 先生は、新刊の第3巻(年代順では第2巻)『日本歴史』の冒頭にある緒論 を、思慮ある日本人に読んでもらいたいと言われる。 先生の手紙には、翻訳 すれば「真正なる日本の進歩は余の心を深くかつ真面目に動かす題目に外なら ぬからである」とある。 先生の書を一読して満足な批評を書き、天下に紹介 することが出来れば幸いである。 「先生の意は、学位を辞退した人間として の夏目なにがしに自分の著述を読んで貰って、同じく博士を辞退した人間とし ての夏目なにがしに、その著述を天下に紹介して貰ひたいと云ふ所にあるのだ らうと思ふからである。」