映画『福沢諭吉』〔昔、書いた福沢24〕2017/05/13 07:13

 「映画『福沢諭吉』にあわせて、福沢ブームの観がある。」という「等々力短 信」第580号を出したので、第578号に書いた「映画『福沢諭吉』」も再録す る。 映画『福沢諭吉』は、1991 (平成3)年の東映、澤井信一郎監督作品。  福沢諭吉は、『あぶない刑事(デカ)』の柴田恭兵、他の配役は奥平外記(壱岐)・ 榎木孝明、岡本周吉・勝野洋、土岐太郎八・鈴木瑞穂、お錦・若村麻由美、塾 生に仲村トオル(その恋人に南野陽子)、野村宏伸、火野正平、哀川翔などだっ たようだ。 これをパソコン通信のフォーラムに出した時、南野陽子ファンに 叱られたことを思い出した。

 なお、明後日5月15日(月)の福澤先生ウェーランド経済書講述記念日の 講演会は、阿川尚之慶應義塾大学名誉教授の「福澤先生の訳した憲法 : 合衆国 という国のかたち」、三田演説館で開催される。

    映画『福沢諭吉』<等々力短信 第578号 1991(平成3).9.15.>

映画『福沢諭吉』を観た。 一口にいって、あまり感心しなかった。 終幕 近く上野で彰義隊の戦争(慶応4・1868年5月/改元はこの年9月)が始 まる。 その騒ぎの最中に、慶応義塾は芝新銭座の新校舎で開塾する。 「ペ ンは剣よりも強し」と、柴田恭兵の福沢諭吉はいうのだけれど、戦闘シーンと 講義の場面をカットバックで見せられると、戦っている方が勇敢で男らしく、 そんな時に経済学のイロハなんかを英語で読んでいる方は、優柔不断な卑怯者 みたいに見えてしまう。映画というもの、動の方が面白く、静には不向きだ。 映画に限れば「剣はペンよりも強し」なのである。

この5月15日は、ウェーランド経済書講述記念日といって、慶応義塾の泣 かせ所なのだ。(新銭座開塾はその一月ほど前で、映画のように同じ日ではな い) その時、福沢は、「慶応義塾は世の中にいかなる騒動があっても変乱が あっても、いまだかつて洋学の命脈を絶やしたことはないぞよ」「この塾のあ らんかぎり大日本は世界の文明国である」と、塾生たちを励ました(『福翁自 伝』)。 映画に、このセリフがなかったのは、残念だった。 そのために、 インパクトが弱く、この時の福沢の行動が、いまひとつ説得力に欠けるものに なってしまった。 福沢諭吉はペンによって時代を動かした人である。 そ れは本質的に映画にしにくいものかもしれない。 だが、それを映像でどう表 現するか、そこに、もう一工夫、必要だったのではないだろうか。

もう一つの失敗は、家老の子奥平壱岐を、福沢諭吉と並立するキャラクター にして、両者の関係と葛藤を軸に、物語を展開したことである。 奥平壱岐は もともと計略を使って福沢を追い払うような、小人物であって、それを大きく 扱ったところに、無理があったというべきだろう。 物語として、そういう人 物が必要なら、まず思い浮かぶのは勝海舟だ。 福沢と勝にしぼれば、スケー ルの大きな映画が出来るに違いない。

史実との違いで(奥平壱岐は自殺していない、夫人が自害した等)いくつか 気付くところはあるが、それが映画というものなのだろう。 でも、映画だか らと譲ると、今度はカメラが、もの足りない。 たとえば、南野陽子という女 優が少しも美しくない。 女優はうまく撮ると、ハッとするほど美しいものな のに…。 情景にしても、宮川一夫さんあたりのカメラのような、印象に残る カットがなかったのは、最近の撮影現場に手抜きが目立つということなのだろ うか。

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