福澤諭吉とウェーランドの「自由主義」2017/11/27 07:16

25日は福澤諭吉協会の土曜セミナー、新経済学部長 池田幸弘さんの「福澤 諭吉の政治経済思想: フランシス・ウェーランドとの対比を中心に」を聴いて きた。 池田幸弘さんの専攻は、経済学史、経済思想史、特にオーストリア学 派を研究。 「ドイツ語圏における数理的分析の端緒について」と、『三田評論』 11月号の細田衛士教授は紹介し、静かな語り口に隠された鋭い切れ味、通信教 育部長を6年間にわたって見事に務めた実績、ピアノの名手だとも語っている。

講演は、福澤諭吉とウェーランドの自由主義の内実という問題を扱って、私 には難解だったが、へたへた書いてみたい。 考える枠組みとして、ジョン・ スチュアート・ミルの『自由論』にある「危害原則」を準拠枠とする。 他人 にたいする危害がなければ、自由主義で、何もしなくていい。 他人にたいす る危害があれば、自由主義の修正が必要。 危害の及ぶ範囲を、経済学者は外 部性という。 危害の及ぶ範囲が狭ければ、限定的事例だ。 だれが、どう測 っていくか、範囲など、明晰な議論がない。 危害を受けている側が、どう感 じているか。 小学校のプールでの歓声を、近隣住民がうるさいという。 こ こ10年~20年、そうした事例をひんぱんに聞くが、音も被害も大きくなって いるという証拠はない。 主観的感情にもとづいて、危害を受けているという。  ますます非寛容になっている日本社会、他人の言動が「うざい」日本社会にな っているのだろうか。 政治経済的自由主義は、撤回されなければならないの だろうか。

福澤諭吉は、ウェーランドの『道徳科学要綱』“The Elements of Moral Science”(1858年)189頁の記述を翻案して、『学問のすゝめ』第八編に「人 の身心の自由」について書いている。 第一、人にはおのおのの身体あり。 第 二、人にはおのおのの智恵あり。 第三、人にはおのおのの情欲あり。情欲は もって心身の働きを起こし、この情欲を満足して一身の幸福をなすべし。人の 好む美服美食を得んとするには人の働きなかるべし。人の働きは情欲の催促を 受けて起こる、この情欲あらざれば働きあるべからず、この働きあらざれば安 楽の幸福あるべからず。禅坊主などは働きもなく幸福もなきものと言うべし。  第四、人にはおのおのの至誠の本心あり。 第五、人にはおのおのの意思あり。  この五つの人に欠くべからざる性質を、自由自在に取り扱い、もって一身の独 立をなすものなり。

「人たる者は他人の権義(right)を妨げざれば、自由自在に己が身体を用う るの理あり。その好むところに行き、その欲するところに止まり、あるいは働 き、あるいは遊び、あるいはこの事を行ない、あるいはかの業をなし、あるい は昼夜勉強するも、あるいは意に叶わざれば無為にして終日寝るも、他人に関 係なきことなれば、傍よりかれこれとこれを議論するの理なし。」

ウェーランドの『道徳科学要綱』では、ごく短い文章で、第一はbody、第二 はunderstanding、第三はpassions and desires、第四はconscience(良心)、 第五はwill となっている。 福沢の論点は、すべて包摂されている。 第三の情欲だけ詳しく書いたが、passions and desiresが行動の起点にある ことは、キリスト教の聖職者であるウェーランドも認めている。 啓蒙思想で 解放されるようになった。 「人の働き」=生産活動。 「禅坊主」の挑発的 発言は、福澤の好んだところのものだ。 福澤節の、こうした文章作法は、も う一人いる。 J・M・ケインズ、名文家で、びっくりさせるというより、怒ら せて、議論に引き込む。                  (つづく)

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