小笠原諸島クルーズ、中浜万次郎と「孀婦岩」2018/08/24 07:08

 18日のTBSテレビ「世界ふしぎ発見!」は、「康次郎×万次郎 いざ!小笠 原諸島へ! 海洋冒険クルーズ」だった。 ミステリーハンターは大杉亜依里、 レース用の大型ヨットでの航海に、初日は船酔いで苦労したようだ。 「康次 郎」はヨットマン白石康次郎、「万次郎」はジョン万、中浜万次郎である。

 天保12(1841)年1月5日、土佐宇佐浦から漁船に乗った14歳の万次郎は 台風で遭難、5名で漂流、伊豆諸島の鳥島に流れ着いて、143日生き延び、5 月9日アメリカの捕鯨船ジョンハウランド号に救助される。 ホイットフィー ルド船長に連れられ、アメリカに渡り、教育を受け、捕鯨船に乗っていた。 嘉 永4(1851)年8月琉球を経て薩摩に到着、長崎奉行所で取り調べを受け、翌 年土佐藩に送致される。 嘉永6(1853)年のペリー来航で、幕府に江戸に呼 ばれ出仕、旗本となり、軍艦操練所教授、通訳などを務める。 安政7(1860) 年、咸臨丸での遣米使節に通弁主任として随行、福沢諭吉と知り合い、アメリ カで福沢と二人が「ウエブストルの字引」を一冊ずつ購入したと、『福翁自伝』 にある。 文久元(1861)年、小笠原諸島などの開発調査に、咸臨丸など四隻 で外国奉行水野忠徳に同行する。 小笠原諸島近海で、捕鯨なども行った。

 番組は大型ヨットでの航海の途中で、鳥島を望見し、伊豆諸島の南端、太平 洋に屹立する高さ99メートルの孀婦岩(そうふがん)という岩山を通る。 カ ルデラ式海底火山の外輪山にあたる黒色孤立突岩、岩質は玄武岩。 私はこの 「孀婦岩」を知っていた、昔愛読していた『アサヒグラフ』連載、團伊玖磨さ んの「パイプのけむり」の写真とエッセイで、見たからである。 「孀婦」(そ うふ)という見慣れぬ、読めない言葉だが、『広辞苑』を引いたら、「おんなや もめ。後家。未亡人。」とあった。 この「孀婦岩」を最初に記録したのは、イ ギリス人で元海軍大尉のジョン・ミアーズで、1788(天明8)年4月9日マカ オから交易のため北アメリカへ向かう途中に目撃した。 ミアーズは、その不 思議な形から、旧約聖書の創世記(19章26節)にある神の指示に背いて塩の 柱に変えられてしまった女性に見立てて、「ロトの妻Lot’s wife」と名づけた。  日本語文献では1885(明治18)年の『寰瀛水路誌』に初めて「孀婦岩(ロッ ツワイフ)」の名が現れるが、「Lot’s wife」を「やもめいわ」と意訳したもので、 やがて音読して「そうふがん」と読まれるようになったと考えられるそうだ。

 「孀婦岩」については、仁田坂淳史さんという方のブログ『ニホンジンドッ トコム』の「孀婦岩とかいう太平洋に浮かぶ謎の岩」を見て頂きたい。 地図 や海底からの形、近くを航海して眺めた動画などもあり、全体像がよくわかる。

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