入船亭扇遊の「崇徳院」前半 ― 2019/05/04 06:35
扇遊は橙色の襦袢の襟が目立つ。 お客様の中には慶應……明治は、いらっ しゃらないでしょうが、大正はいらっしゃるかもしれない。 令和になります が、団令子の令と言ったら、若い人は知らない、檀れいの間違いじゃないかと 言う。 東宝の団令子、お客様方はご存知でしょう。 昭和、いい、面白い時 代で、世の中について行けた。 テレビが家に来た日、覚えています。 街頭 テレビで、プロレスや相撲を見ていた。 日曜の6時には、てなもんや三度笠 を見て、シャボン玉ホリデー、隠密剣士を見た。 今、わからない。 楽屋も 変わった。 前座の時分、先代の小さん師匠が50代後半で、重み、貫禄があ った。 今、私は65で、瀧川鯉昇と同い年、軽い軽い、吹けば飛ぶようなも ので。 楽屋話も、昔はご婦人のお噂だったのが、今は病気の話で、薬や尿酸 値のこと。 ノーベル賞のiPS細胞で、難病も治してくれるようになるらしい。
急に奥さんの具合が悪くなって、びっくりする。 掛かり付けの先生を呼ん で来る時間がなくて、新しい先生に来てもらった。 私は店の方にいなければ ならないので、よろしくお願いします。 あのー、ご主人、栓抜きはあります か。 こんなんで、どうですか。 いいでしょう。 ヤットコは、ありますか。 これでどうですか。 まだ、唸っているけれど、大丈夫かな。 ノミと金槌を。 これで、どう。 よろしいでしょう。 先生、家内の唸り声がひどいけれど、 どこが悪いんでしょうか。 わからないんです、まだ鞄の鍵が開かないもんで。
昔は「恋患い」というものがあった。 男女の仲が変わってきた。 約束も、 「何日に渋谷で5時に」でいい、あとは携帯で。 つまらないと思う。 以前 は、ハチ公の尻尾の方でとか、伝言板があって「3時間待ちました、また電話 します」とか、あれ見るのが楽しみだった。 昭和27年から29年に『君の名 は』というラジオドラマがあり、大変な人気で女湯がガラガラになった。 真 知子巻きってのが流行った。 今、流行ってるのは、恵方巻。 会えそうで会 えない、すれ違い、菊田一夫先生の作。 昔は「男女七歳にして席を同じうせ ず」といって、昔気質の人は奥さんと歩かない。 新宿で旦那と会って、奥さ んは? 今、品川を歩いてます。 想いが積もり積もって、お医者様でも、草 津の湯でも、ということになる。
熊さん、来てくれたかい。 若旦那は、どうです。 倅には、弱った。 死 んだわけじゃない。 病気がわからない。 昨日来てくれた先生は、お腹(な か)の中に思っていることがある、というんだ。 倅が、熊さんになら話して もいいと言っている。 あと五日ぐらいしか持たない。 話に行ってきますか ら。 大事(でえじ)にし過ぎるんじゃないですか。
大分、唸っているな。 若旦那! 大きな声を出しちゃあいけないってのに。 ハァーーッ、ハァーーッ、私にはわかっている、医者にはわからない。 言っ てごらんなさい。 笑わないかい。 笑いませんよ。 実はね、あの、ウフフ フフ、私の病気は「恋患い」。 笑ったね。 いっぺんだけ、笑わせて下さい。
二十日前、上野の清水様、見晴らしがよい。 お供の女中を3人連れたお嬢 さん、水の垂れるような人、いい女だった。 そのお嬢さんが膝の茶袱紗を落 したんで、拾って渡してあげた。 信あれば徳あり、桜の枝に下がっていた短 冊が風に吹かれて落ち、お嬢さんがそれを拾って、私の座っているそばに置い た。 短冊には「瀬をはやみ岩にせかるゝ滝川の」という崇徳院様の歌、心の 歌が書いてあってね、それ以来、何を見てもお嬢さんの顏に見える。 鉄瓶も、 掛軸の達磨も、熊さんの顔も、みんな水の垂れるようなお嬢さんに見える。 だ けど、どこの誰かがわからない。 短冊を貸して下さい、また来ますんで。
最近のコメント