福沢索引2006年3月のブログ・横松宗さんの福沢論[昔、書いた福沢228] ― 2020/02/28 06:58
中津文化の松明(たいまつ)<小人閑居日記 2006.3.25.>
福沢の郷里大分県中津在住の福沢研究家、横松宗(たかし)さんが、2005
年10月15日に亡くなった。 享年92歳、晩年、一万六千冊の蔵書が収まる
書庫、誰にも読める“おとこの夢”横松図書館を自宅兼用で建てられたという。
福沢と郷里中津<小人閑居日記 2006.3.26.>
横松宗さんのご著書『福沢諭吉 中津からの出発』を紹介した「等々力短信」
第580号平成3(1991)年10月5日「福沢と郷里中津」。
福沢諭吉におけるパラドックス<小人閑居日記 2006.3.27.>
横松宗さんの『福沢諭吉 その発想のパラドックス』(梓書院・2004年)。 中
津における身分制度や、人間関係の中に埋没することなく、それを外から見る
こと、あるいは、人間本来のあり方から見ることに、横松さんは福沢の本当の
郷土愛を見る。 それを、郷土愛の一つのパラドックスというのだ。 中津奥
平藩は、藩全体の気風がきわめて保守的で、江戸時代封建制の典型のようなと
ころだった、そういう中津だからこそ、その環境に触発されて、本当の意味に
おける個人の自覚とか独立自尊とかいう精神をむしろ自分で発想することがで
きたのではないか、ここにも福沢のような進歩的な偉人が出たパラドックスが
ある。
福沢の複眼と楽観主義<小人閑居日記 2006.3.28.>
横松宗さんは「パラドックス」を「矛盾」と訳して良いし、「二律背反」ある
いは「逆説」でもよい、という。 ヨーロッパの近代的制度や先進文化に感動
すると同時に、その途中の香港、シンガポール、セイロンなどや、ヨーロッパ
でも、搾取され、酷使されている労働者、悲惨な貧乏人の生活や、そうした弱
い人たちのための福祉施設も見てきた。 それは福沢に、もともと自分もそう
であったと自覚させた。 自分は下士として上士から非常な屈辱を受けたが、
自分もやはり武士であって、町人や百姓に対しては優位の立場にある。 この
ことはまた国際関係においても、自分たちが他国人に対して加害者にもなり、
被害者にもなり得るということを知ったともいえる。 このことは、内からと
外からの双方から見るという福沢の複眼思想の一つになったのではないか、と
横松さんは指摘している。
横松さんは、福沢が文明の矛盾を感じながらも、進歩というものに対して、
一貫して楽観的であったという。 無限なる宇宙の中に生かされている人間は、
ちっぽけな蛆虫のような存在で、「人間万事小児の戯れ」といってよいけれど、
その戯れを本気に勉め、真剣に生きることが必要だ。 無限に努力してゆく過
程で、蛆虫である人間が、無限に天によって包摂され、また天によってアウフ
ヘーベン(止揚)されてゆくと、福沢は信じていたのではないか。 そこに横
松さんは、福沢独特のオプティミニズムがあると考える。
福沢の郷里大分県中津在住の福沢研究家、横松宗(たかし)さんが、2005
年10月15日に亡くなった。 享年92歳、晩年、一万六千冊の蔵書が収まる
書庫、誰にも読める“おとこの夢”横松図書館を自宅兼用で建てられたという。
福沢と郷里中津<小人閑居日記 2006.3.26.>
横松宗さんのご著書『福沢諭吉 中津からの出発』を紹介した「等々力短信」
第580号平成3(1991)年10月5日「福沢と郷里中津」。
福沢諭吉におけるパラドックス<小人閑居日記 2006.3.27.>
横松宗さんの『福沢諭吉 その発想のパラドックス』(梓書院・2004年)。 中
津における身分制度や、人間関係の中に埋没することなく、それを外から見る
こと、あるいは、人間本来のあり方から見ることに、横松さんは福沢の本当の
郷土愛を見る。 それを、郷土愛の一つのパラドックスというのだ。 中津奥
平藩は、藩全体の気風がきわめて保守的で、江戸時代封建制の典型のようなと
ころだった、そういう中津だからこそ、その環境に触発されて、本当の意味に
おける個人の自覚とか独立自尊とかいう精神をむしろ自分で発想することがで
きたのではないか、ここにも福沢のような進歩的な偉人が出たパラドックスが
ある。
福沢の複眼と楽観主義<小人閑居日記 2006.3.28.>
横松宗さんは「パラドックス」を「矛盾」と訳して良いし、「二律背反」ある
いは「逆説」でもよい、という。 ヨーロッパの近代的制度や先進文化に感動
すると同時に、その途中の香港、シンガポール、セイロンなどや、ヨーロッパ
でも、搾取され、酷使されている労働者、悲惨な貧乏人の生活や、そうした弱
い人たちのための福祉施設も見てきた。 それは福沢に、もともと自分もそう
であったと自覚させた。 自分は下士として上士から非常な屈辱を受けたが、
自分もやはり武士であって、町人や百姓に対しては優位の立場にある。 この
ことはまた国際関係においても、自分たちが他国人に対して加害者にもなり、
被害者にもなり得るということを知ったともいえる。 このことは、内からと
外からの双方から見るという福沢の複眼思想の一つになったのではないか、と
横松さんは指摘している。
横松さんは、福沢が文明の矛盾を感じながらも、進歩というものに対して、
一貫して楽観的であったという。 無限なる宇宙の中に生かされている人間は、
ちっぽけな蛆虫のような存在で、「人間万事小児の戯れ」といってよいけれど、
その戯れを本気に勉め、真剣に生きることが必要だ。 無限に努力してゆく過
程で、蛆虫である人間が、無限に天によって包摂され、また天によってアウフ
ヘーベン(止揚)されてゆくと、福沢は信じていたのではないか。 そこに横
松さんは、福沢独特のオプティミニズムがあると考える。
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