スカトロジー、『陰翳礼讃』の厠、三上 ― 2021/02/10 06:58
『ガリバー旅行記』を読んで面白がり、その面白いところを伝えようとしたら、つい政治的な風刺とスカトロジー(糞尿譚)になってしまった。 日本の文学に、スカトロジーはあるのだろうか。 昔、「の、ような話」という一文を書いた(「等々力短信」第523号1990(平成2)年2月25日)。 杉浦日向子さんの『大江戸観光』(筑摩書房)を読むと、江戸のベストセラー作家・恋川春町に『芋太郎屁日記』という、代々語り継がれるほどの曲屁の名人、霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)、後に曲屁福平と改名した人物の伝記がある。 「その時此(この)子、たらいの内にて天に指さして、屁上屁下(へんじょうへんが)唯可屁糞尊(へくそん)と高らかに唱えける」と誕生する。 曲屁福平とその曲屁の実際については、かの平賀源内先生が『放屁論』という書物で、自ら聴いた三番叟を「トッハヒョロヒョロヒッヒッヒッ」と聴こえたと記しているそうだ。
最近、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で厠の臭いについて詳述しているが、若い人はわからないだろうと、誰かが書いていたのを読んだのだが、どこだったか思い出せない。 谷崎は、厠がただの不浄の場とならない条件として「或る程度の薄暗さ」、「徹底的に清潔であること」、「蚊の呻(うな)りさえ耳につくような静かさ」を挙げた。 そして厠の「風流」を、こう書いた。
「まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月の夜にもまたふさわしく、四季おりおりの物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人も此処から無数の題材を得ているであろう。されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であると云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中に包むようにした。」
そういえば、私もトイレで俳句が浮かぶことがある。 「三上(さんじょう)」と、文章を練るのに最もよく考えがまとまるという三つの場所をいう言葉がある。 馬上、枕上、厠上。 出典は、欧陽脩の「帰田録」だそうだ。 寝ていて、浮かぶこともある。 馬には乗らないから、今なら電車の中だろうか。 どれも、いい句が浮かんでも、あとで思い出せないのが難点だけれど…。
最近のコメント