江戸三百年と、その三分の一、共にアメリカに負ける ― 2021/02/18 08:03
われわれの生活は俄(にわか)に亜米利加人のそれと密接な関係を生ずるようになった。 それは今後二十幾年続くべき筈だという。 戦争前銀座丸の内あたりの光景は、或人の眼には、既に著しく米国風に化せられていた。 今後世態人情の転化し行く処の何であるかは、火を見るよりも明(あきらか)であろう。 しかし世運は常住するものではない。 物極まれば必(かならず)変転するのは自然の法則である。 われわれの子孫が再び古き日本を追想すべき時も来ずには居まい。 回顧の資料は書籍に優るものはない。 われわれは現在において既に民族文化の宝物たるべき書物の大半を失った。 将来これを得ることは至難であるかも知れない。 けれど難事は難事であるが故に、心あるものには却て一層の精力を奮起させる基(もとい)になるであろう。 奇を猟り稀を求めんとする欲望は生命の力のあるかぎり人の心より消え尽すものではない。 われわれが江戸の文物を追慕したように、われわれの子孫もまた彼等には最も近かった現代を回顧せずにはいないだろう。 半世紀のむかしとなった明治の世を語るのも、また戦敗の今日を記録に留めるのも、われわれ現代人の為すべき任務の一つでない事はあるまい。
江戸三百年の事業は崩壊した。 そして浮浪の士と辺陬(へんすう・国のかたいなか)の書生に名と富と権力とを与えた。 彼等の作った国家と社会とは百年を保たずして滅びた。 徳川氏の治世より短きこと三分の一に過ぎない。 徳川氏の世を覆したものは米利堅(メリケン)の黒船であった。 浪士をして華族とならしめた新日本の軍国は北米合衆国の飛行機に粉砕されてしまった。 儒教を基礎となした江戸時代の文化は滅びた後まで国民の木鐸となった。 薩長浪士の構成した新国家は我々に何を残していったろう。 まさか闇相場と豹変主義のみでもないだろう。
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