『青天を衝つ』と、渋沢栄一の転向2021/02/23 07:42

 渋沢栄一(吉沢亮)が主人公の大河ドラマ『青天を衝(う)つ』(大森美香作)が始まった。 第一回「栄一、目覚める」で違和感を感じたのは、馬で通る一橋慶喜(草彅剛)にいきなり「渋沢栄一です」と、一橋家に仕えたい旨、申し出るところだった。 用人平岡円四郎(堤真一)はニヤニヤしていたから、打合せはしてあったようだが…。

栄一の曾孫で、渋沢敬三の子、渋沢栄一記念財団相談役の渋沢雅英さんも16日の朝日新聞朝刊に書いていたように、天保11(1840)年に生まれた栄一が育ったのは、ちょうど幕末動乱の時代で、初め攘夷思想にかぶれ、倒幕を目指す過激派だった。 23歳の時、高崎城の乗っ取りや横浜の焼打ちを計画する。 その計画が露見して直前になって決行を止め、幕吏に追われて京都に逃げ、江戸遊学中に知り合っていた用人平岡円四郎を頼って一橋慶喜家に逃げこむ。 ここで持ち前の企画と実務の才能を発揮して、だんだん重用される。 慶喜が将軍になって、三年前の倒幕運動家は、皮肉にも幕臣になってしまう。

慶應3(1867)年慶喜の弟徳川昭武のフランス留学に随行する。 フランス滞在中、幕府が瓦解、幕末の戦乱に巻き込まれずにすむ。 維新後、徳川家が小さくなった静岡藩で、フランスでみてきた株式会社を早速設立するなど経営の才をあらわしていたが、請われて大蔵省に出仕、明治6(1873)年、33歳で民間に転じ、第一国立銀行を開業した。 渋沢雅英さんは、この期間を「奇跡の10年」と呼び、栄一はこの国が大きく動いた歴史によって生み出されたとする。 以後、日本資本主義の基礎をつくる仕事に深くかかわった。 生涯に関係した会社が5百余、非営利事業が6百余、それも名前だけ出したというようなものは、ほとんどなかったという、働きづくめの92年の一生を昭和6(1931)年に終える。

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