郡山剛蔵随談2021/03/21 07:36

      郡山剛蔵随談 <等々力短信 第814号 1998.7.25.>

 柳家小三治が落語の前に振る長話が好きで、「等々力短信」でも、昔のトマ トの味やパキッとかじるキュウリの歯ごたえ、日本の塩のまずい話を、紹介し たことがある。 最近は、落語そのものよりも、マクラでどんな話をするか が、小三治の高座の楽しみだという本末転倒状態になってさえいる。 そんな 小三治のマクラを集めた『ま・く・ら』(講談社文庫)という本が出て、塩の 話も出てくると教えてくれた方がいる。

 博多の独演会へ、ちょっと贅沢をして日本航空のスーパーシートで飛ぶ。  ベテランのスチュワーデスに頼みごとをすると、昨日今日のぺーぺーのおねえ ちゃんには言えないような言葉でフォローしながら、親切に対応してくれた。 さすがスーパーシートにいる人はちがうと、いい気分になっていると、そのス チュワーデスが、小三治のそばにしゃがみ込み、肘掛けのところへ両手をかけ て、くっと、乗り出してきて、こう言ったという。 「わたくし、この仕事を してからこのかた、いつか師匠にお会いできると思っておりました」。 

 目の上がバチバチッ、っとなって、「な、なんです?」と、口ごもると、 「わたくし、郡山先生にお習字を教わったんです」。 小三治の本名は郡山剛 蔵(たけぞう)。 自分でも裏長屋で番傘を貼っている浪人みたいな名前が恥 かしくて、以前は隠していたという。 小三治の父親は学校の先生をしてい て、教職を退いてからは家で書道塾を開いていた。 スチュワーデスに、そう いうふうに言われて、小三治は、ついぞ思い出さなかった亡くなった父親のこ とを、いろいろと思い出す。 厳しい父親だった。 どこの学校でも、一番怖 い先生といわれた。 書道塾では、礼儀にやかましく、小三治がいやだったの は、習いに来る子供から大人まで、襖を開けて、襖の表から「先生どうぞ教え ていただきとうございます」と言わせることだった。 小三治は反発しながら も、しようがないよ、こういう親父なんだから…、無理矢理させられた子供た ちも、大きくなってからなんか違うんじゃないかという気がしていたのだとい う。

 中学2年で止まった英語をサンフランシスコのUCバークレー隣の英語学校 へ三週間習いに行く「めりけん留学奮戦記」、オートバイを4台置いている高 田馬場の駐車場にホームレスの長谷川さんが勝手に住む「駐車場物語」、東京 やなぎ句会の連中が香港のラブホテルに泊められた「バリ句会」などがいい。

 小三治は、いろいろやってみる実践の人で、同世代だというのも親近感のわ くところなのだろう。