『夏潮』季題ばなし「虎ヶ雨」2021/12/04 07:04

       季題ばなし(第二十三回) 『夏潮』2012年6月号
             「虎ヶ雨」                    馬場紘二

 陰暦五月二十八日に降る雨。「虎ヶ涙雨」ともいう。この日は曾我兄弟が討たれた日で、兄十郎祐成(スケナリ)の愛人であった大磯の遊女虎御前がその死を悼んで流した涙が雨となって降るという伝説に基づく。

曾我祐成は、鎌倉初期の武士(一一七二生)。伊豆の豪族河津祐泰の子で、幼名は一万、十郎と称した。五歳の時に父が他人の所領争いのとばっちりで工藤祐経に殺された。母満江が曾我祐信に再嫁し、曾我姓を名のる。弟五郎時致(トキムネ) (一一七四生)と共に、建久四(一一九三)年五月二十八日源頼朝が富士の裾野で催した狩りに、夜陰に乗じて忍び込み、父の仇工藤祐経を討つことはできたが、十郎は斬り死にし、五郎は捕えられ処刑された。この「曾我兄弟の仇討」は「曾我物語」に叙述され、「曾我物」と呼ばれる幸若・能・浄瑠璃・歌舞伎などの好題材になっている。江戸歌舞伎では、享保ごろから毎年正月興行に「曽我物」を出すのが恒例となっており、今年も国立劇場で市川染五郎の十郎、中村福助の虎、河竹黙阿弥作『奴凧廓(サトノ)春風』幸四郎・染五郎・金太郎(小学一年生)高麗屋三代出演の、正月らしいおめでたく楽しい舞台を観る機会があった。

そこで虎御前であるが、『吾妻鏡』にも出て来ることから、実在したとされる。『吾妻鏡』には、仇討事件後の六月一日、曾我祐成の妾である虎という名の大磯の遊女を召し出して尋問したが、無罪だったため放免したこと、六月十八日に虎が箱根で祐成の供養を営み、祐成が最後に与えた葦毛の馬を捧げて、出家し、信濃善光寺に赴いたが、その時十九歳であったとある。『曾我物語』では、十郎祐成と五郎時致は早くから父の仇を討とうと思っていたので、妻を娶ることを考えていなかったが、五郎の勧めもあり妾を持つことになった十郎は、自分が死んだ後のことを考え、遊女を選んだという。虎と十郎は会ってすぐ恋に落ちる。虎十七歳、十郎二十歳のことであった。十郎の死後、兄弟の母満江を曾我の里に訪ねた後、箱根に登り箱根権現社の別当の手で出家する。信濃善光寺に詣でた後、大磯に戻り、高麗寺山の北側の山下に庵を結び菩薩地蔵を安置し、夫の供養に明け暮れる日々を過ごしたことが、山下(現、平塚市)に現存する高麗寺の末寺荘巌寺の「荘巌寺虎御前縁起」に記されているそうだ。

広重の東海道五十三次之内「大磯」は「虎ヶ雨」、国貞の美人東海道「大磯の圖」は雨に降られる虎御前を描いている。

大磯のはれてをかしや乕が雨    正岡子規
藻汐草焼けば降るなり虎が雨    高浜虚子
大磯の山いと靑く虎が雨       久保田万太郎

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