『鎌倉殿の13人』平相国、木簡、佐殿、武衛2022/03/09 07:06

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(三谷幸喜・作)を、面白く見ている。 いろいろ、知らないことがある。 1月9日の第1回「大いなる小競り合い」北条の家は父・時政(坂東彌十郎)、子・宗時(片岡愛之助)・政子(小池栄子)・義時(小栗旬)・実衣(宮澤エマ)、時政は京から迎えた後妻りく(宮沢りえ)にデレデレだ。 伊東家は、北条と、三浦(三浦義澄(佐藤B作)子・義村(山本耕史))両家を束ねる。 伊東祐親(浅野和之)は、義時と義村の祖父に当たる。 伊東家で預かっていた源頼朝(大泉洋)と伊東の娘・八重(新垣結衣)の間に子・千鶴丸が生まれる。 平家の命令で、伊東祐親は千鶴丸を殺し、頼朝は、北条の家に逃げ込む。 皆、平清盛(松平健)を「平相国(へいしょうこく)」と呼ぶ。 「相国」は、中国で宰相の称、太政大臣・左大臣・右大臣の唐名。

 1月23日の第3回「挙兵は慎重に」で、北条義時が束になった木の札を見ているシーンがあった。 これが何か、私は見過ごしたのだが、アサブロ「やまもも書斎記」で「木簡」だと教わった。 年貢の荷札か、管理の台帳なのか、武士の経済的基盤である領地、荘園の管理のためのものである。 義時の描き方が、頼朝を担いで平家と一戦交えようとする兄の宗時と違い、やむを得ず兄に引っ張られていくような性格に描かれている。 2月20日の第7回「敵か、あるいは」で、坂東の巨頭、上総広常(佐藤浩市)を味方につけようと説得に行く。 義時は、上総広常に頼朝の下、坂東武者の勢力を結集して平家に対抗しようと説くが、ポロリと自分は次男坊で「木簡」でも数えているほうが性に合っている、と漏らす。 昔、零細工場のわが家では、兄が製造、次男坊の私が経理だった。

 このドラマでは、源頼朝を「すけどの」と呼んでいる。 2月27日の第8回「いざ、鎌倉」。 坂東の武士たちを味方につけて、一行は源頼朝の父・義朝伝来の地である鎌倉へ乗りこもうとしている。 上総広常は、頼朝が「すけどの」と持ち上げられて、一人偉そうにしていて、酒の席にも出て来ないのが不満である。 「すけどの」は「佐殿」、頼朝の伊豆に流される前の官位が、従五位下・右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)だったので、縮めてこう呼んだ。 不満な上総広常は、三浦義村だったかが教えた「武衛(ぶえい)」と、頼朝を呼ぶ。 頼朝は、「佐殿」より「武衛」が上かと思って、ニヤリとするのだ。 「武衛」は、兵衛府およびその官職の唐名、中国風の言い方。

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