金箔はどうやって作るのか2023/10/17 07:19

金沢の東側へ移動し、浅野川大橋を渡って東山の金沢市立安江金箔工芸館へ行く。 金箔は、全国生産の99%を担う金沢の伝統工芸だ。 東山周辺は、幕末ごろ多くの職人が生活した地域で、現在も金箔を商う店が軒を並べる金箔ゆかりの地だという。 現在は騒音の関係で、郊外に製造団地があるそうだ。 建物は金沢町屋の蔵をイメージしたものだというが、蔵が川越のように露出していなくて、建屋に覆われているのは、後で泉鏡花記念館の建物で教わった。

安江金箔工芸館の「安江」は地名ではない。 金箔職人の安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に伝えたいとの思いから、金箔にちなむ美術品や道具を私財を投じて蒐集し、1974年金箔工芸館に展示したことに始まる。 安江孝明氏は、岩波書店社長を務めた安江良介氏の父上だそうで、福澤諭吉協会は『福沢諭吉全集』を編集した福沢諭吉著作編纂会を前身としており、福沢の著作を多数出版している岩波書店とは、縁が深い。 金箔工芸館は、1985年に金沢市に寄贈され、2010年に移転新築したのが金沢市立安江金箔工芸館である。

金沢の金箔は、16世紀末、加賀藩祖前田利家の命令に始まることが確認されているが、幕府が箔座を設置して諸藩の製造販売を禁止したため、18世紀末以降は途絶えていた。 19世紀初頭、火事で焼けた金沢城の再建にあたり、藩が京都から職人を呼んで金箔を打たせたことがきっかけになって、金沢の職人たちは箔打ちの技術を習得した。 彼らは運動を起こし、まず販売権を、幕末には製造権も獲得、復興した金沢の金箔は明治以降、産業として発展した。

館長さんの丁寧な解説を聴いて、金箔製造の大変な工程をまったく知らなかったことがわかった。 まず純金にわずかな銀や銅を合わせ、約1300度の高温で溶かした合金を板状にする。 それを帯状に延ばしたものを「延金(のべがね)」という。 昔は叩いて延ばしたのだろうが、現在はロール圧延機で何度もローラーがけをし、約20分の1mm程度までの薄さに延ばす。 それを、「箔打紙」という手すきの和紙(雁皮紙)を藁灰汁や柿渋や卵などに漬けて特殊な処理を施した紙と交互に重ね、数万回叩く(今は、箔打機で)ことにより、1万分の1~2mmまでの薄さに延ばす。 叩く回数の多さはもとより、叩く間に、金箔と「箔打紙」がくっつくので、その都度、「箔打紙」に特殊処理を施すという、その手間も気が遠くなるほどのものだ。

詳しくは、金沢金箔伝統技術保存会のホームページ「金箔の製造方法」に写真と共に掲載されているが、職人は、「澄屋」という澄工程と、「箔屋」(箔打師)という箔工程の職人に分かれ、「箔打紙」の仕込みは、それぞれの工程で用いる紙を製紙家から購入し、澄屋、箔屋が行うのだそうだ。

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