磯田道史・今村翔吾・岸本葉子各氏のシンポジウム2024/02/16 07:06

 第二部はシンポジウム「『街道をゆく』―過去から未来へ」、磯田道史・今村翔吾・岸本葉子(エッセイスト)各氏、古屋和雄さんの司会だ。 まず『街道をゆく』について。 今村…司馬さんの小説を読んだ後、中学2、3年で全部読んだ。小説を補完しようとして届かなくなり、また小説に戻った。 岸本…散策だ、頭での、足での。司馬さんと一緒に歩く。 磯田…中学以上で読んだ。紀行文がおいしかった。取材が足元から崩れていく、その差分の感じがいい。

 司会…司馬さんの旅は45歳から25年間、自然条件、山川草木の中に立ってみる、天、風の匂い。 岸本…「モンゴル紀行」が、みずみずしい。ビジュアルブック・シリーズの取材で、司馬さんの30年後に行った。司馬さんは、少年の心に帰って、沢山の体験をし、昔習ったモンゴル語で喧嘩の仲裁などしている。 磯田…「周辺」がポイント。3つか4つに分けられる。海外、古い核、境目A、境目B。海外では、オランダ、アイルランド、干拓地だ。古い核は、葛城、三輪山。境目Aは、薩長。境目Bは、糸満。『街道をゆく』ではないが、『ロシアについて』が出色。 今村…ウォッカについて、さんざんけなす、怨みでもあるのか。人生の「周辺」で蓄えられた知識。ダンスの教師をしている時、滋賀の高島に教室があって、毎週行っていたが、司馬さんはそこらへんのおばちゃんに声をかけて、聞いた逸話にちゃんとふれている。朽木の風を、的確に文章にしている。それを文章に入れると、仏像に目を入れるようになる。それは小説ともリンクしている。 磯田…直木賞の「梟(ふくろう)の城」、御斉峠(おとぎとうげ)の炭焼きのおじさんの顔が見える。司馬さんは「愉快である」が口癖。天文13年の鉄砲鍛冶、もぐさ屋はみな亀屋とか、井伊直政は家臣に関ヶ原のことを語るのを禁じたが、石田三成の領地だったから。新しい「人国記」「風土記」として読める。

 岸本…司馬さんは、五感で感じている。ゴビ砂漠に、司馬さんの30年後の2004年に行ったが、背の低い草が生えていて、良質のオリーブオイルのような香りがした。司馬さんはモンゴルのウランバートルへ三日がかりで、イルクーツクでビザを得て入ったが、今は成田から直行便がある。南ゴビは空気がいい。『草原の記』のツェヴェクマさんは周縁に生きる運命の人、人に書かれた歴史がある。 磯田…単色じゃない、画素の細かい絵。オホーツク人、アイヌ以前の。資料と旅に出て五感で感じるのが、車の両輪。糸巻のように、無意識の塊ができる、そこから雫が落ちる集中力。 今村…空気の中から、水を取り出す。書く前に、一回忘れるのは、かまわないと思う。残ったものが、小説の核になる。日本人は、「人国記」が好き、対話に入っていける。『童の神』は、土の匂いまで憶えている、ノートを放り出して行く取材が多い。                                        (つづく)