大の字に寝る、畳と一坪の寸法2012/01/10 04:31

 秋岡芳夫さんの講義は、大の字に寝ると5尺×5尺、それぞれ1尺ずつ余裕 を持たせた、6尺×6尺=1坪が、住空間の単位だった、というところから畳の 話になる。 畳は、大の字に寝るほか、二人が差し向いで話したり、食事をし たりする寸法。 6尺×3尺という畳の寸法は、藺(い)草の背丈からぎりぎり3 尺という草の都合があった。

 柱が畳の外側にあるか、柱の中心で部屋の広さが測られるか、ということが 問題になる。 畳が6尺3寸×3尺1寸5分を京間(きょうま) (柱の内法(うち のり)は3尺1寸5分の整数倍となる)、6尺×3尺を中京間(ちゅうきょうま) (柱 の内法は3尺の整数倍となる)、5尺8寸×2尺9寸を江戸間・田舎間(柱の内法 は2尺9寸の整数倍となる) 。 江戸間・田舎間では、柱や壁の厚みの分だけ、 実質的に狭くなる。 いわゆる団地サイズは、江戸間・田舎間の延長線上にあ って、狭い。

 江戸間・田舎間は、建てる時に、材木の木取りなどで都合がよく、生産性が よい。 秋岡芳夫さんは、生産に都合のよい「生産尺」でなく、「生活尺」で、 全ての日本人の暮しの道具を測り直すことを主張した。

 『図書』1月号の、藤森照信さんの「茶室という建築」に、茶室の本質の一 つである一坪という広さについての言及があった。 利休が到達した待庵の一 坪という面積は、人が使う部屋としては極小にちがいないが、何を意味するか。  畳一枚は「起きて半畳、寝て一畳」といわれるように、人体は畳一枚の内側に 無理なく納まる。 では一坪とはどういう寸法か。 試してみると分かるが、 手足を大の字に伸ばした姿勢が無理なく納まる。

 そこで、藤森さんの持ち出すのが、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた 人体寸法図だ。 あれは古代ローマの建築理論家ヴィトルヴィオスの理論に合 わせて描いた、建築というものの基本単位の図なのだそうだ。 利休の到達し た一坪は、あの図と一致する。 ルネサンスの天才が図上で考えたことを利休 は実践していたのではないか、というのだ。

福沢の思想には儒教的な所がかなりある2011/12/25 03:52

 今日の結論部分、まったく私の手に余るもので、一応は書いてみるが、一応 書いたという域を出るものではないことをお断りしておく。

そのように儒学(朱子学)の教義をまとめて説明した後、渡辺浩教授は福沢の 儒教批判を四点述べた。

 (1)「古を慕ふの病」…古を慕って、少しも自己の工夫を交えず、いわゆる精 神の奴隷(メンタルスレーヴ)となって、今の世にいて、古人の支配を受けるの は、儒学の罪。 この『文明論之概略』第九章の指摘を、渡辺浩教授は正鵠を 得ているとした。

(2)陰陽五行…福沢はニュートン以降の科学によって、妄説と斥けた。 ただ し『論語』には「陰陽五行」は出てこない。

(3)儒教主義教育…政府の儒教理解に対する批判。 「儒教主義の実際を見れ ば、決して純粋の道徳学には非ずして、大半政治学を混同す。……左れば彼の 儒書の中より其徳教の部分のみを引分けて之を利用せんなどの考は、唯是れ不 学者流の頭脳に往来する妄想にして、取るに足らざるものなり。」(「儒教主義」 1883 )

(4)男尊女卑批判…正当。 ただし政治は男性の担当として、男女の役割分担 を福沢は批判していない。

 そこで結論、渡辺浩教授は、福沢の思想には儒教的なところがかなりあると して、慶應は朱子学の根幹を引き継いでいる、東アジアの正当な継承者だと言 い、「独立自尊」と「議論の本位」の二つを挙げた。

 (1) 独立自尊…渡辺浩教授は、小室正紀さんの「朱子学と福澤先生の考え方 の間には、ある種の共通性があると言っていいと思います。それは強い主体性 を備えた個人が出発点であるという考え方です。」(「江戸の思想と福澤諭吉」、 『福澤諭吉年鑑』32号、2005年、138頁)という見解に賛成だという。

 (2) 「議論の本位」…「脩身学とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天 然の道理を述べたるものなり。」(『学問のすゝめ』初編)  福沢は、天然の道 徳、自然法を尊重した。 『文明論之概略』第一章「議論の本位を定る事」と いうのは、ある主張の本当の値打、真価を定めるにはどうすればよいかの章で ある。 福沢が読んだジョン・スチュワート・ミルにも、ギゾーにも、客観的 真実、真価についての言及がある。 それらは東洋の思想、儒教と響き合うと ころがあった。

 「苟も一国文明の進歩を謀るものは欧羅巴の文明を目的として議論の本位を 定め、この本位に據て事物の利害得失を談ぜざる可らず。」(第二章)

「文明の物たるや至大至重、人間万事この文明を目的とせざるものなし。」(第 三章)

渡辺浩教授のまとめた儒学(朱子学)の教義2011/12/24 04:49

 そこで渡辺浩教授自身の儒学理解である。 最も代表的な儒学である朱子学 の教義の説明があった。 南宋の朱熹(1130-1200)による体系。 これが私には、 よく理解できなかった。 下手下手書いてみる。

 (1)天・地・人…天は地も含む。 すなわち大自然 nature、大宇宙のことで、 季節や天候も含む。 天災、天然記念物の天。 天国や地獄はない。 人も、 動植物を使いながら、生かされている天の営みの一部。 全ては天にあり、も の言わず自己展開している。 天意は、畏敬すべきもの。

 (2)禮と道…道は人らしさの基本原則。 神でなく、大自然に依拠。 人は万 物の霊長。 人の行動の型は、人らしさ。 現世にとどまり、当り前の人間関 係にとどまる。 「我が道を行くgoing my way」や「世界に一つだけの花」(個 性)は、悪。

 (3)五倫…人として守るべき五つの道。 君臣の義、父子の親、夫婦の別、長 幼の序、朋友の信。

 (4)君・臣・民…君は、天命、天の意志の代理人。 誰かが保証人になる必要 (統治)があって、最も「らしい人」、慕われる、支持される人がなる。  臣は、アシスタント、人として優れた人、君と臣で政府をつくる。 忠は、 まごころを尽すこと。 民は、相対的に愚か、統治は教育でもある。

 (5)修己治人…自己修養を遂げた人物が為政者となることで、天下泰平が実現 する。 修身・修養・功夫・学問(『孟子』) 「誠意・正心・修身・斉家・治 国・平天下」(『大学』)  郷挙里選・科挙、個人(男性)を家柄や身分に関係な く選抜。 この考え方は、世襲身分制度には危険思想で、明治維新に力があっ た。

 (6)三代と革命…夏王朝(堯→舜→禹と禅譲、禹以後世襲となり、桀が殷の湯 王に滅ぼされる)・殷王朝(紂王に至って周の武王に滅ぼされる)・周王朝(文王・ 武王・周公)の三王朝。 禅譲(帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ること)。  放伐(中国人の革命観で、徳を失った君主を討伐して放逐すること)。 「漢 儒者と和学者との間に争論ありて千緒万端なりと雖ども、結局分かるゝ所の大 趣意は、漢儒者は湯武の放伐を是とし、和学者は一系万代を主張するに在り。 漢儒者の困却するは唯この一事のみ。」(『文明論之概略』)

福沢は儒教を全否定したわけではない2011/12/23 04:23

 渡辺浩教授は序論で、儒教の厳しい批判者としての福沢に触れた。 『福翁 自伝』には、「私は唯漢学が不信仰で、漢学に重きを置かぬ斗りでない、一歩進 めて所謂腐儒の腐説を一掃して遣らうと若い時から心掛けました。ソコデ尋常 一様の洋学者や通詞など云ふやうな者が漢学者の事を悪く云ふのは普通の話で、 余り毒にもならぬ。所が私は随分漢書を読で居る。読で居ながら知らない風を して毒々敷い事を言ふから憎まれずには居られない。」とある。

 『福翁百話』では、「漢学洋学共に学問の名あれども、人間の居家処世より文 明の立国富強の辺より論ずるときは、古来我国に行はれたる漢学は学問として 視る可らず。我輩の多年唱導する所は文明の実学にして、支那の虚文空論に非 ず。或る点に於ては全く、古学流の正反対にして、之を信ぜざるのみか其非を 発き其妄を明にして之を擯けんとするに勉むる者なり。」と言っている。

 ところが、『学問のすゝめ』初編で、「実学」として究理学・経済学に歴史・ 脩身学を含めた福沢は、『福翁百話』「前途の望」で「満世界の人皆七十歳の孔 子にニウトンの知識を兼ね」という。 『論語』為政の「七十而従心所欲、不 踰矩」、七十歳、従心、したいことと、すべきことが一致した完全な状態である。  『文明論之概略』第六章では、「徳義の事は古より定て動かず。」「徳義の道に就 ては恰も古人に専売の権を占められ、後世の人は唯仲買の事を為すより他に手 段あることなし。」といっている。

 つまり、福沢は古今東西、普遍妥当の道については、否定していない。 儒 教を全否定しているわけではない。 何を否定し、何を否定していないか、が 問題になる。 そこで次に儒教の教義内容(についての私の理解)を簡略にまと めてみたい。

渡辺浩教授の講演「儒教と福澤諭吉」2011/12/22 04:17

 昨日の「巧言令色またこれ礼」〔昔、書いた福沢2〕(短信107・1978(昭和53) 年2月5日)で、福沢諭吉を「批孔のはしり」と書いているのは、1970年代前 半、中国で文化大革命のさなか「批林批孔」という林彪と孔子を批判する運動 があったからである。 孔子と孔子が説いた儒教、そして儒教を復活させよう としたとされた林彪が激しい批判の矢面に立たされた。

 12月3日、福澤諭吉協会の第113回土曜セミナーで、渡辺浩法政大学法学部 教授の「儒教と福澤諭吉」という講演を聴いた。 その案内文にあった講演の 要旨は、「福澤は儒教の厳しい批判者として知られています。しかし、彼が儒教 の何を批判し、何を批判しなかったのか、そのことの吟味は十分になされてい ないように思います。この報告では、儒教の教義内容(についての私の理解)を 簡略に、しかし体系的に、お話した後、それを福澤のいわゆる儒教批判と比較 して、考えてみたいと思います。」というものだった。

 正直に白状すれば、この講演、これまた、ほとんど歯が立たなかった。 東 大系に弱いのかもしれない。 一番、面白かったのは、野田佳彦首相が所信表 明演説で「正心・誠意」というキーワードを述べ、新聞始めマス・メディアは こぞって勝海舟の『氷川清話』からの引用だと言ったが、儒学を多少でも知っ ている者なら(江戸時代なら五歳の子供でも、今でも聖徳学園小学校で素読を習 っているという一年生なら←馬場註)、四書五経の『大学』の「誠意・正心・修 身・斉家・治国・平天下」だと分かる、という話だった。 儒学についての教 養のなさは、マス・メディアから、首相官邸や野田総理まで及んでいたのであ る。 私が講演をほとんど理解できなくても、驚くには当らない。 と、開き 直ったりして…。

 ネットを「誠意・正心」で検索したら、加地伸行立命館大学教授が9月30 日の「産経ニュース」(おそらく産経新聞にも掲載されたのだろう)の「正論」 で、渡辺浩教授と同様の指摘をしていた。