追悼 伊丹レイ子先生2007/04/05 07:08

『ジョンソン博士語録』

 昨年11月11日に「復活!慶應義塾の名講義」をなさった伊丹レイ子名誉教 授が、2月12日に急逝されていた。 新聞にも出たであろうに、うかつにも、 私はそれを知らなかった。 ご夫君の伊丹吉彦さんから、文字通り遺著となっ た『ジョンソン博士語録』((株)パレード刊)を送っていただいた、そのお手 紙で知ったのである。 悪性リンパ腫だったそうだ。 昨年秋頃から胃の不調 を訴えておられたのだが、あの講義の準備やこの本の最終校正などなどのため、 化学療法による治療をのばしのばしにしていたことが死期を早めてしまったよ うだけれど、やりとげたい事をほとんどやりとげたという達成感を味わい、悔 いはなかったと思います、とお書きになっている。

 伊丹レイ子先生の―What Did Dr.Johnson Say?―「1755年に「英語辞典」 を単独編纂した英国の文豪サミュエル・ジョンソン博士の語録」と題したその 「名講義」のことを、私は11月13日「サミュエル・ジョンソンと「第二の知 識」」、14日「カタカナ英語、聞かない英語」、15日「サミュエル・ジョンソン とボズウェル」の三回にわけて日記に書いた。 それをプリントしてお送りし た手紙が、先生の遺品の中にあって、整理中に再読されたご夫君が、遺著『ジ ョンソン博士語録』をご恵贈くださったのだった。 伊丹レイ子先生が亡くな る前の2月8日に、完成したこの本を手に取られたというのが、せめてもの慰 めである。

 福澤諭吉協会の旅行その他の行事にいつもご一緒に参加なさっていたご夫妻 の、とても仲良いご様子を拝見していたので、さぞやお寂しくなられたことで あろうと思われた。 あの日、まさに最終講義となった講義の中で、ユーモア を交えてあの世が近いというようなことをおっしゃったのが、少し気になって はいたが、あれほどお元気に、凛として講義をなさった伊丹レイ子先生が亡く なられたとは…。 学者の死は、名人の死と同じだ。 お命とともに、あの豊 かな学殖がこの世から消え去ってしまったかと思うと、残念でならない。 慶應義塾は、創立150年記念グッズの内、「トートバッグ」付属の「ポーチ」を、 すみやかに「パウチ」と訂正し、伊丹レイ子先生の霊安かれと祈らなければな るまい。