早慶戦の時代の幕開き2007/04/21 07:32

 明治36年2月24日の一高対慶應の一戦。 慶應は初回から一高黒田投手を 激しく攻め、一回2点、三回1点、四回4点、四回を終わって7対2とリード、 桜井弥一郎投手の出来からいって、このまま押し切るかと思われた。 ところ が、後半になると守山球審(一高OB)の判定が次第に慶應に辛くなってきた。  桜井のコーナーに決まる球はすべてボール。 おかしいと思うと思わず投球が 上ずる。 ストライクを取ろうと真中に投げて痛打される。 結局、慶應は 10対13で、逆転負けした。

 次に一高に挑戦したのは、早稲田。 翌明治37年6月1日、早稲田は、例 の練習用ポジション順オーダーで試合に臨んできた一高に、意地になって同じ オーダーで相対した。 事前の交渉で守山恒太郎球審を避け、同じ一高OBで 帝大工学部在学中の久保田敬一を球審に引張り出すことに成功した早稲田が、 9対6で一高を破った。

 その翌日、慶應が再び、一高に挑戦した。 慶應が意地のポジション順オー ダーで試合に臨んだのに対し、一高は必勝を期して正規のオーダーで来た。 球 審は久保田のはずだったが、病気だということで、また守山が出てきた。 慶 應は三回まで7対2とリードしたが、再び試合中盤から守山の手加減が露骨に なり、九回表、一高はついに9対10と逆転。 九回裏、慶應はツーアウトと 絶望的状態になったが、九番高浜徳一がショートゴロ・エラーで出塁、一番桜 井弥一郎の打ったボールはグーンとのびて、センターの頭を越え、観客のいる 席を転々、高浜につづいて、打った桜井もサードを回る。 猛然とホームに滑 り込んだ桜井の背中に、ショートが中継した返球をキャッチャー小西がタッチ、 「アウト」、その瞬間ボールがミットからこぼれた。 『慶應義塾野球部史』は 「さすがの守山もこれをアウトとはいえなかった」と、書いた。

 早慶があいついで一高を破り、一高王国の牙城は崩れた。 野球の中心は、 早慶戦の時代へと移っていくのである。