高校時代に読んだ本、ぼろぼろ泣く本2007/04/25 07:07

 つい先月も短信に書いたが、高校時代に私は堀辰雄を愛読し、さらには中原 中也に魅入られて、恥ずかしながら少年詩人でさえあった。 岩波文庫「私の 三冊」に高校時代に読んだ本のことを書いた人が何人もいる。 「報道ステー ション」のコメンテーター、朝日新聞の加藤千洋さんは堀辰雄『風立ちぬ・美 しい村』を挙げ、「灰色の高校時代、私の心の中に巣くった理想郷は、夭折した 詩人の立原道造と堀辰雄が繊細な筆で紡ぎだした浅間山麓の「美しい村」の四 季の情景でした」と書く。 作家の朴慶南さんは『中原中也詩集』(大岡昇平編) を「地方都市の高校生だったころ、親しい友人たちと中原中也の詩を共有し合 った。当時の心象風景を、友人たちの思い出とともに蘇らせてくれる一冊であ る」という。

 民子に有田紀子という素人を起用した木下恵介監督の映画『野菊の如き君な りき』(1955年)は、文化祭の高校の講堂で観た記憶がある。 「失敗学」の 畑村洋太郎さんは、この映画を中学生のときに見て感激し、何回も見にいった その後で、伊藤左千夫『野菊の墓 他四篇』を読んだ。 「「映像」と「ことば」 と全く違うのに、心に残る心象は同じなのがとても不思議だった」という。 俳 優で読書人の児玉清さんも、この本を挙げ「なんと切なく、悲しく、愛しい物 語であろう」「何度読んでも、まだ涙は止まらず、さらに溢れ出るのだ」と書い ている。 法政大学教授・身体表現論の鈴木晶さんは、ジョルジュ・サンドの 『愛の妖精』(宮崎嶺雄訳)で泣く。 「これも(シュリーマン『古代への情熱』 と同じく)中学時代に読んだ。私の女性観、というより女性の好みは、この本 から決定的な影響を受けている。野生の少女の「女らしさ」に、何度読み返し ても、ぼろぼろ泣いてしまう。」

『交詢社の百二十五年』<等々力短信 第974号 2007.4.25.>2007/04/25 07:09

 執筆者の竹田行之さんから『交詢社の百二十五年―知識交換世務諮詢の系譜』 (交詢社刊・非売品)をいただいた。 交詢社には700頁を超す大冊『交詢社 百年史』があり、平成17(2005)年に創立125年を迎えた最近25年の『交詢 社現代史』もある。 今回のご本は、125年の歴史を通読できるように紙幅を 限りながら、最近の福沢研究の成果を取り入れ、交詢社の歴史像の再構築をめ ざしたものだという。 すこぶる面白く拝読したから、作者の意図は十二分に 達成されたと言えるだろう。

 第一に名文である。 「始造」「惑溺」といった福沢の用語がさりげなく使わ れている。 「始造」は創立準備の章の名に、「惑溺」は101頁の2行目に。  いろいろな時間に、銀座の裏通りのあちこちから、新交詢社ビルを見上げるこ とを、すすめている。 壁面ガラスの色は、設計チームによって穏かさの中に 強靭な意思を持つ「ジェントル・ウォームグレー」と名づけられたという。 福 沢諭吉が「西航手帳」に“Gentleman”の一語を書き込み、保守党と自由党の 議員が院外のクラブで歓談しているのを「サア分らない」と考えこんでから数 えて、ビル竣工の平成16年が141年、芝青松寺での発会式から124年、「思想 の核心が現代のかたちとして表現されたのだ」と、竹田さんは書く。

 第二に、歴史物語である。 とりわけ明治13年の発会から、北海道開拓使 官有物払下げ事件をへて、明治14年の政変にいたる、政府と交詢社の関係が まことに興味深い。 福沢が企図した知識交換世務諮詢(世の中の諸事を相談 する)「人知交通の一大機関」「知識集散の一中心」の交詢社は本来、伊藤博文 と井上毅(こわし)が恐怖するようなものではなかったのに、福沢諭吉という ひとりの人物がもつ思想の磁力と、そこに引き寄せられる人々への恐怖は肥大 化して、クーデターは断行される。 伊藤博文と大隈重信、井上毅と福沢諭吉、 欽定憲法路線と民約憲法路線、プロイセン型立憲体制とイギリス流立憲君主議 院内閣制の対立とその結末は、その後のこの国のかたちと歴史に大きな影響を 及ぼし、今日にいたっているのだ。 交詢社の存在は、大きかったのである。

 当初、地方にあっても有力なオピニオンと情報獲得の手段であった『交詢雑 誌』は、次第に、政変の結果福沢のもう一つの事業となった新聞『時事新報』 に取って代られるようになった。 福沢の歿後、交詢社は社交倶楽部として再 発足する。 福沢が「倶楽部」という語彙を使っていなかったという記述(49 頁)は新知識だった。