市馬の「蒟蒻問答」2008/03/05 07:58

 柳亭市馬の「蒟蒻問答」である。 マクラで噺家の人数が多くなった話をす る。 昭和30年の落語協会の名簿を見たら、会長の桂文治(「牛蒡」といわれ ていた)以下、前座まで30人ちょっと、それだけでやっていた。 師匠の先 代小さんは、弟子の多いのが有名で、数で勝負、落語会の日大といわれていた。  これだけお客さんがいれば、日大の方もいるだろうが、先代の日大の話で…。  先代の正蔵師匠(彦六になった)は、三代目小さんと、のちに四代目小さんに なった蝶花楼馬楽の弟子だから、柳家の「大番頭」(仲入後の権太楼の長講「百 年目」を意識している)だった。 (市馬は)前座でここの楽屋につめていた 頃、早目に入るようにしていた。 ある時、開演1時間半くらい前に入ったら、 楽屋の隅に妖気を感じた。 正蔵師匠は9時ごろの出番なのに、4時頃にはも う来ていた。 「もう半分」のおじいさんみたいな怖い顔で、「いきなり開ける とおどろくじゃあねえか」

 ここで本題に入った市馬の「蒟蒻問答」、快調だった。 八五郎は、具合が悪 くなって、江戸から流れてきた安中で、「松杉(?)を植えようという料簡」だ と蒟蒻屋の六兵衛親分に相談、いろいろ教わって、木蓮寺の坊主になる。 イ ロハが言えれば、読めるお経というのが、傑作だった。 節をつけて、鼻にひ っかけるように延ばす。 どうせ相手は死んでるんだ、あとは「猪牙で行くの は深川か」かなんか言っとけばいいと。  手を叩いて、寺男の権助を呼ぶ。 「ゴンスケ、ゴンボウ、ゴンテキ」、楽屋の方を見て「ゴンタロウ」。

 永平寺から問答の僧が来て、困った八五郎坊主に代わり、大和尚になった蒟 蒻屋の六兵衛。 貫禄はあるが、衣の下から腹掛けが見える、出が職人だから というくすぐり、たまたま読んだ安藤鶴夫さんの『(四代目)小さん・聞書』に よると、弥太ッペ馬楽が斉藤緑雨のものからとり入れたものだそうだ。 落語 は長年の工夫の積み重ねなのだ。 いよいよ問答となり、講談調になったあた りも可笑しかった。

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