橘家文左衛門の「転宅」2009/12/03 06:44

 橘家文左衛門、初めて見た。 浅葱色の着物に、草色の袴、ポマードで固め た頭、おでこも光った暑苦しい顔。 江戸川区小岩の生れ、昭和61(1986) 年に橘家文蔵に入門、かな文から、二ッ目になって文吾、平成13(2001)年 に現在の名前になったそうだ。

「転宅」、こそ泥は庭から、旦那がお妾さんに五十円渡すところを見ていた。  上りこんで、旦那の残したものを、うめえ酒、うめえ刺身、ぬた、「ぬた好き!  ぬたは世につれってね」とやる。 お妾さんに見つかった後も、さらに残り物 を平らげようとする。 そのそれぞれが、オーバーだ。 お妾が、実は同業者 だといい、高橋お伝の孫の半ぺんじゃなくて、菊と名乗る。 泥棒は感心して、 人間国宝の孫より偉い、と(後で花緑が出た)。

 夫婦約束をして、泥棒が将来をあれこれ想像する。 子供が生れて、川の字 に寝る、河の字じゃない。 学校に行くようになって、親の参観日に作文を読 む。 題は「私の父と母」、「うちの父ちゃんは、日本一の大ドロボウです」。 こ ういうところも、余計な感じがした。

 落語は、ただ年数を重ねたからといって、必ずしもうまくなるものではない のが、難しいところだ。 私の意見は、若干、見た目に引きずられているとこ ろがあるかもしれないが…。

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